どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

夫婦喧嘩もとい夫婦討論

私たちの夫婦喧嘩って、基本「物理」ではなく「話し合い」なんですが、今日も一つ発見があったのでその報告です。

 

嫁「恋雨の(実写)映画見に行きたい。

私「え~・・・。

 

こんな会話から始まった今回の夫婦喧嘩もとい夫婦討論。

正直、これまでに何度もあったんですよ、この手の話。

 

私からは映画に誘うけど、嫁からの映画の提案には疑ってかかるって図式です。

 

これなぜかっていうと「私がひとりで映画を見に行くと、誘わなかったことに対して嫁の機嫌が悪くなる」っていうのが前提にあったのと「嫁は基本的になんでも楽しめる人」だからなんですね。

 

私はというと「その映画、ほんとにたのしいの?」っていう疑いから始まるんです。これは、嫁さんが純粋に楽しみたいという行動に対して「私が積極的になれていなかった、相手のことを思えていなかった」ということです。

 

でも不思議なんですよね、これが例えば「今日の晩ごはん何にする?」と聞かれた場合、私は自分の希望よりも、嫁の希望を優先するんです。ではなぜ「晩飯」は相手のこと思えて「映画」は相手のことを思えてないのか。

 

よくよく紐解いた結果「その映画、私の創作活動のインプットにちゃんと貢献できるの?」っていう超上から目線の自分がいることに気づいたわけです。そう、私にとって晩飯はクリエイティブなものではなく、映画はクリエイティブなものだったんです。同じ時間を使って飯を食べるという行為をするのか、映画というインプットを増やす時間として過ごせるのかっていう差だったんです。

 

今回の「恋雨」に関して言えば、原作の漫画は読んだしアニメも見てたので、その状態で実写版をみたところで何も得られるものないでしょって発想でした。嫁の意見としては、どこまで再現できてるか、どういう改変がされているのか、そういったところを楽しめるということのようです。

 

それともうひとつ、相手の神格度が影響しているなと。

 

普段から、ガッチャマンクラウズを見ろとか「自分で考えろ」って言ってるわりに、私ってすごく影響されやすいんです。自分の尊敬する人(神格化している人)の意見は取り入れてみたいっていう考えを常に持ってるんですね。

 

たとえば、ラストオブアスは上田文人さんが褒めてたからやろうって決めてましたし、それまでブックカバー型のスマホケースは微塵も興味なかったのにウメさんが使ってるのを見て使おうかなって思ったり、そんなレベルです。事のきっかけが影響うけまくりなだけで、その後の感想まで右にならえってわけじゃないですけどね。

 

そういう意味で、自分の考えを普段から述べたり、その考えが自分にない発想だなって思えたり、はたまたすごい作品を作ってたりセンスを感じたり、そういったものを見ると、私の中でのその人の神格度が上がるわけですが、嫁に関してはほとんど自分のことを言わないし何かを作ってるわけでもないので、神格度があがる要素がなかったわけです(こういうのはオブラートに包んでもしょうがないので全部言葉にして話してます)。

 

聞けば聞くほど私のクズっぷりがすごいですけど、そういうことだったんだと気づきまして・・・これは直さねばと思ったので、大人しく「恋雨」見に行こうと思います。こんなめんどくさい私の討論に毎度付き合ってくれてるって時点で、私の嫁は控えめに言って、最高に神格度高いはずなんですけどね。

 

今回の改善点はつまるところ「映画を特別視せず、飯や旅行と似たような枠にする」ってことになるんでしょうか。

 

いやあ、まだ私たちが高校生だったとき(付き合ってないとき)は、映画はまぎれもなく「ついで」で、本命は彼女といる「時間」だったはずなんですけど、結婚するとこういうところも知らぬ間に変わってしまってたんだなあって気付かされました。