どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

この世の終わりのようなゲームの終わり

頑張って3章で使うマップ全部終わらせました。これからイベントを組んでいくわけですが、3章は500行くらいしか台本ないので、わりとサクッと終わるんじゃないですかね。最終章は500行すらありませんけど。

Twitterのハゲ漫画に出てくる大器晩成型の意識高い奴ではなくて

さて、今日は久々に承認欲求とかそのへんの話を改めて考えてみようかなと。Twitterをみてたら、とある方が5,6年かけて1本のゲームを完成させてたんですよ。そしてフリームとかで公開してるわけです。中身はわかりませんが、動画を見る限り個人なのにこんなに頑張ってすげえなって思うレベルだったんですが、感想は0だしRT数も1桁とかでした。なんだこの・・・この世の終わりみたいな現実は・・・って気持ちになりましたよね。

じゃあ忍屋はどうなんだって話なんですが、決して他人事ではないわけです。今だって全然誰にも見てもらえない状態がデフォですし、RTなんて身内がするかしないかみたいな状況です。そういった現実を見るたびに、これは「自分に力がないからなんだろう」って思うんですよ。「まだ力不足だ、まだまだ精進するぞ!」なんて、そんなよくTwitterのハゲ漫画に出てくる大器晩成型の意識高い奴ではなくて、単純に才能がない、力がない、技術がない、センスがない、なんでそんなの何年もやってんの?っていう葛藤が当たり前のようにつきまとう状態なんです。

そこに、高みの見物をしているもうひとりの僕が、まあ自分が楽しければいいだとか、見返りを求めて作るのはお門違いだとか、分かる人にだけわかってもらえればいいだとか、そういうどこに真実があるんだかわかなんない激励がとんでくるわけです。

よくこんな状況を10年もやってきて精神崩壊してないなって思うレベルなんですが、私は相当メンタルが弱い方なので、きっと気づいてるんだけど、気づかないようにしてるっていうのが正しいんですかね。もしくは、気づいるんだけど、別に大したこと無いフリをして自分を騙していると言うか、そういうニュアンスが近いかなと。

こういう時の心の持ち方で、何が正しいかもわかってるつもりですし、人には偉そうに語ることはできるけども、それでも説得力がないよなって思う自分もいるわけで、ほんとこの手の問題ってどこに帰結するんだろうなってわからなくなり、堂々巡りになるわけです。自分を騙し続けて作り続けるのにもきっと限界はあるでしょうしね。

今はろあ君の怒涛の制作進行のおかげもあって、かつてない軌道に乗ってる状態なので、この期を逃すと非常にまずい。それこそ今立ち止まったら、エターナるの5文字が現実味を怯えてきそうな気さえしてるので、このままゴールまで駆け抜けたいですね。