どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

空想の悪と実在する悪

プリズンブレイク見てて思うんですけど、私はほんとひどい話を考えられないんだなあと。ひどいっていうのは、胸糞ストーリー的な意味です。

 

以前にもキャラクターの死という記事で話したことがあるんですが、登場人物がつらい思いをする場合、そのつらい状況って私がさせたんだよなあって考えてしまうというあれです。シナリオ書きとしてあるまじき感情なんですけど、なんだかその甘っちょろい考えが抜けなくて。

 

海外ドラマであるプリズンブレイクの話の構成を見ていくと

 

起:小目的があり

承:そのために行動を起こし

転:何か問題が発生し

結:問題を解決する

 

といった、考えてみれば至極当然の流れで出来てるんですよね。その裏側で、視聴者の心を揺さぶるような凄惨な状況が描かれていく感じ。もっとこう心を鬼にせねばと思ってたんですが、鬼にするのではなくて、第三者として見れるようにならないといけない。伝えたいことが先にあって、そのためにはそういった事態が必要であるといった考えに持っていかないと、たぶんよくないんでしょうね。

 

そのためにも、私にとっては実体験っていうのは大事な要素です。空想だとたぶん、悪を作れない。これが事実であれば、事実をなぞっているだけなので悪を描いたところで、その悪は実在したものだから私の作り出したものではないんです。むしろ私は被害者です。これが空想の悪だと、私自身が責任を負ってしまう感覚が嫌なんでしょうね。