どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

自慢という限界

以前「いつまでも同じ自慢をする人たち」という記事を読んで、はえ~ってなったのでそのお話です。

 

詳しい話は元の記事を読んでもらうとして。

 

これを読んでからというもの、日常で何かを話したり書く際、常に意識するようになりました。自慢話なんて、百害あって一利ないですからね。極力避けたい事象であることは間違いないんですが、それでも自然と出てしまうのが人間の悲しい性なわけです。

 

これって、各方面における自分の限界ですよね。

私でいえば「絵」や「ゲーム制作」といったジャンルでしょうか。

 

ただ、自慢できるかどうかは、努力の有無も絡んでくると思います。たとえばかつてニコ生のコミュニティで3000人いったときは、そこそこ努力した結果の3000人だったのでドヤりたかったですが、Twitterのフォロワー5000人は数こそ勝っていても、自分の努力は何もないので自慢できる対象ではないわけです。

 

ブログの毎日更新(毎日じゃないけど)にしても、最初は特に何も思ってなかったんですが、毎週土曜日の集まりですごいねって何度か言われて、どうやらすごいらしい、という考えが芽生えたりもしましたが、これはあまりよくない傾向です。

 

スゴいことかも→自慢できることかも→自分の限界

 

という図式が成り立ちそうで怖いですよね。そう自覚してしまった時点で自分の可能性を潰しているというか。

 

相手をただ褒めている時っていうのは気楽なもんです。百利あって一害なしですから。自慢をせず、相手を褒めている人は基本的には無害でしょう。裏が見えない分、信用も得られそうにないですが有害よりマシです。すでに裏がバレてる人が褒めてくれると嬉しいもんですけどね。

 

自分の限界どうのこうの以前に、自分の発言ひとつが自分の価値を下げる一手になっていないか、いま一度考えるのは大事なことだと思います。根がクズでも、黙ってりゃわかりませんから。