どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

ブログの回帰

えぬさんのブログを読んでると、なんでも

世間でブログの回帰なんてものが起こってるらしい。

ソーシャルメディアのひとつであるSNSに疲弊した人たちが

実家に帰るようなものだろうか。

なかでもTwitterは人々の闇が渦巻いてる場なので

周りとの関係を意識する人ほど辛いだろうと思う。

しかし簡単にあとから見返したい情報を残せるというのは大きい。

面白い記事を見て、すぐツイートボタン押すだけ。

なのでメモ代わりに使う程度にはちょうどいいかもしれない。

よく思われがちなTwitterは簡単に情報発信ができるというものがあるが

これは大きな落とし穴で、情報発信をする=承認欲求なので

承認されない場合は負の感情が増大するだけの自滅ツールとなる。

Twitterはその大元となる情報発信の部分が簡単にできちゃうがゆえに

わずかな喜びを求めて簡単になんども自滅してしまう人も多いだろう。

それでも続けている限りその闇からは抜け出せないのがTwitter

ブログ回帰がほんとかどうかは怪しいものだけど、実際自分も

Twitterから離れた人間なわけだから、そういう人たちが

他にいてもおかしくはないだろうなと。

このNana-Blogも、忍者ブログに変えてからだと8年なので

えぬさんの探検隊と同い年だということに気づいた。

俺はもっぱらコンシューマのツクールで育ってきた人間だけど

同じツクラーさんがこうしてブログを続けてるのはなんだか嬉しい。

ブログを続けられてる理由はよくわからないけど

もうここまでくると理由とかではなくなってる気がする。

えぬさんの言うように自分自身のためというのはもちろんそうだけど

毎日書いてると、さぼった瞬間カレンダーが虫食いになるので

その汚さに耐えられないから、といったしょうもない理由が大きい。

2013年の自分はこんなことを言っている。

こうして毎日ブログをつけていて思うけど

これがもしブログをつけていなかったら、昨日も今日も

何気ない日常と呼べる日々は永遠と思い出すことのない一日として

記憶の彼方に消えていくのだろうと思えてくる。

人生を振り返った時に思い出すのは、ある程度インパクトの強い日だけ。

そう考えると、こうして自分が一日一日、ちゃんと生きてきた証を

残せているっていうのは、それだけで意味のあることなんじゃないかと。

これを見て思ったけど、俺はいったい何歳までブログやっているだろう。

結婚して子どもができて、イナナキア完成させて(戒め)

おじいちゃんになって孫ができてもやってるだろうか。

そればかりは誰にもわからないけど、その時の自分が

今の自分の文章を見返す日がくるといいなあ、感慨深いし。

がんばれよ、未来の自分。

今もそれなりに頑張ってるから。