どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

終わりのある進んでいる感

私の人生において「ゲーム制作」という活動がないと

生きている実感を感じられないのだと思っていた。

事実、ここ最近はモチベ低迷の為DQXしかやってない日々が続いている。

仕事終わりにDQXだけして寝る日なんてもうひどいものだ。

自分が創作活動をしていなかったら

きっとこんな生活だったんだろうなと思い知らされている。

DQXで何をやっても、達成感はあってもどこか引っかかっていた。

なぜかといえば、それに終わりが無いからだ。

MMOに限って言えば、サービス終了は終わりではなく

他人が強制的に終わらせる現象なので私にとっての終わりではない。

本来、終りがあるから進んでいる感が得られるものだ。

この「終わりのある進んでいる感」がとても重要で

いくらDQXでレベルをあげようが強敵を倒そうが

進んでいるようで、進んでいるとは言えない。

ゲーム制作は完成という名の終わりがある。

だからそこへ向かって進めていることに安心を覚える。

今はやっていないが趣味でやる格ゲーはDQXと同じものを感じる。

一生中足波動をうち続けた先に終わりはない。楽しいんだけどね。

そんなわけで、楽しい楽しくないに関係なく

「終わりのある進んでいる感」を感じられる物事であれば

別にゲーム制作じゃなくてもいいということに気付いた。

確かに同人誌作ってるときもその感覚は味わえたし。

創作活動ならなんでもいいのかもしれない。

ただここで大事なのは、終わりだけを求めてはいけないということ。

その過程を楽しめないのはとても悲しいし、本来の行いから逸れている気がする。

ジョジョの奇妙な冒険に出てきた警部もいいました。

結果だけを求めていると人は近道をしたがるものだ。

近道した時真実を見失うかもしれない。やる気も次第に失せていく。

大切なのは真実に向かおうとする意志だ。

今はといえば、制作のモチベはないものの

仕事が進んでる感を感じられる内容なのでそこに救われている。

むしろ仕事ですらそれがなかったら、きっと勤務中に

ゲーム制作の打開策を練っていることだろう。

そんなわけで、今日もまた

けものフレンズのOPとEDを一日中ループ再生して涙を流すのだった。

つまりはこれからもどうかよろしくね。