どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

のろけとクソゲー

一人暮らしのときも、ケーキ買って帰ることはよくあったけど

自分が結婚したからか、いつもと世間の景色が違っていた。

町は仕事を早く切り上げて帰っているサラリーマンで溢れているし

よく見ると手にはケーキの箱らしきものを持っている人も多くいた。

ケーキ屋に入れば、普段はまずここに用のなさそうな

多様なサラリーマンがたむろしており

今日のために慌てて買いに来た感がすごかった。

その脇にクリスマスの包装紙に包まれたプレゼントを抱えている人も。

なんかこう、それぞれに家庭があるんだなあとしみじみと感じる。

帰宅すると、丁度好物のグラタンが出来上がっていた。

PCでクリスマスのジャズBGMでも流しながら

なんとも幸せ感あふれるクリスマスイブを過ごしていた。

ここでひとつ、前から思って気づいたことがあるのでメモ書き。

得てして、普通の会話も、カップルであったり既婚者の会話だと

実際はのろけでなくてものろけ話に聞こえてしまうものだ。

その証拠に、自分がアニメやドラマを見ていて

羨ましいなって思ったシーンとまったく同じシーンが自分に訪れても

アニメやドラマで感じた羨ましい状況にはならない。

なぜか。

アニメやドラマのワンシーンは、こちらは得てして

そのワンシーンしか知らないからだ。

実際は、そのワンシーンが起こっている前後にも人生があり

そのワンシーン以外の事象も頭をよぎっているから

一見幸せ100%の事象を100%として楽しめていないのだろう。

不満も一緒に過ごしている人生の中で

たまたま他愛のない会話が発生したにすぎない。

他人がそこのシーンだけを見た場合、例え喧嘩シーンでも

そんな些細なことで言い合えるとか幸せだなあと勘違いする。

別の例を出してみよう。

一人の女性がいたとする。

その女性がOLとなり、仕事に追われて大変な時期に

ドラマで優雅な昼下がりを過ごす若奥様を見たとする。

きっと憧れるだろう。

あぁ、私も素敵な人と結婚して

夫が仕事にでかけている間に家のことを済ませて

オシャレなリビングで紅茶を飲みながらTVを見る。

そんな世界を勝手に想像してしまう。

それはドラマのワンシーンだけを見て

ありもしない世界を想像した結果だ。

実際はどうか?

夫の収益がままならないかもしれない。

夫とわりと真面目に性格の不一致があったかもしれない。

ご近所付き合いがうまくいっていないからもしれない。

外は寒いのに今夜の食材を買いに行かないといけないかもしれない。

そんな様々な負の要素が現実では取り巻いているのだ。

落ち着いて紅茶なんか飲んでたところで

それはきっと優雅な時間などではなく

ただ心を鎮めているだけにすぎない。

そう、ありもしない世界を見て勘違いしているのだ。

ありもしない世界を勝手に想像しているから羨ましく感じるのだ。

わかりやすく言えばクソゲーのPVと一緒である。

印象深そうなシーンだけをつなぎあわせて流すことで

プレイヤーはありもしない壮大な物語を勝手に想像するのだ。

ほんとそれと似てる。

『他人の一見のろけに見えるシーンは、クソゲーのPVと同じ』

これが今日出た持論である。

だから他人ののろけを見ても、羨ましがるなんて安直な反応はせずに

まあ色々あるんだろうな、もしくは今は平和でも

これから先大変なんだろうなと、適当にあしらうのがベストだろう。

メリークリスマス。