天気:晴れ
土曜の夜に、クリエーターが集う生放送があった。
それを見ていると、なにやらあれこれ議論していたようだったが
そこでふと、こうして自分のやりたいことをやっている人は
誰かを幸せにできても誰かの命を助けているわけではないよなと
なぜかそんなことを考えていた。
おそらく募金の広告が目に入ったからだろう。
普段からファミマでお釣りがでれば、募金箱へ投下することも
少なくなかったが、そういえばこういった大々的な募金って
したことないなと思ったのと、俺が毎日平和ボケして
お腹が空いたらなにか買って食べて、当たり前の日々を送っている
ことと比較して、何かの助けになればと、表向きではそういった
考えで募金したんだと思う。
必要事項の記入とか、クレジット入力とか、面倒ではあったし
これによってデメリットが何かしらあってもメリットはない
それが募金なのだろうけど、そのフォームまできてブラウザバックするのは
何か目の前の誰かを見殺しにしているような気がして続けた。
結果、諭吉1枚の募金ではあったが、それでどんな効果が得られるよっていう
広告の文句を信じて募金を終えたわけだが
まぁ言ってしまえばこれも、直接なメリットはないものの
何かしら眼に見えないものへの見返りを求めてしまっているのだろう。
自分では見返りを必要としない純粋なる善意だとしていても、
結局のところ、水面下では自分でも気づかないレベルで
そういったものを要求してしまっている、それが人間だと俺は思う。
だからといってそれが悪いことだとは思わない。
それが人間。そういった間で成り立っている関係こそが人間社会な気もする。
そのある種、偽善であろう俺の募金も、たとえ偽善だったとしても
少しでも誰かを支えているなら、こうして俺が明日もまた生きていくうえで
ちょっとは後ろめたさが薄れてくれるかな、そんな自己満足の世界なのだ。
募金にもたくさん種類はある。怪しい団体も沢山いるだろう。
そういったものに面倒を食らいたくない場合は
直接、黒柳さんに郵送でもしたほうが、よほどいい気がした。
体験版完成まで、あと139日。
そんなこんなで、明日もふらふらせずに
与えられている有意義な時間を、全うしなくちゃね。