台詞の重み
画像:久々の虹
天気:雨のち虹
家族を連れて買い物へいった帰り、駐車場にて雨上がりの虹を発見。
かなり大きくでていたが、雲に隠れてその半円全てを拝むことはできなかった。
調べて見るに、虹は光の見せる物体なので、角度によって見えなくなるらしい。
よって虹のふもとへ立つことは不可能だという。
できないと分かっていながら、真下から見上げてみたいと感じる。
こういった現象を見るたびに思うが、地球には沢山の現象が存在するものの
自らオリジナルの自然現象を生み出すことはなかなかに難しい。
そう考えると地球は、自分たち人間以上に
ずっとロマンチストな思想の持ち主なのかもしれない。
以前から持っていた目覚まし時計が、俺が起こさないと
起きてくれない目覚ましと化してしまっていたので、新しいものを購入した。
やはり形状的には、この頭にベルが2つ乗ったものが可愛らしい。
色も我が愛車と同じベージュ系で気に入ったのだが、設置してみて気づく。
秒針の音が異常にでかい。
部屋のどこに置いても寝ている間かなり気になるレベルでうるさい。
とはいえ今更悩んでも仕方ないので、この環境に慣れるしかなさそうだ。
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TRPGも一年近く続いているが、いよいよ佳境へと突入し
自キャラのマナちゃんにも結構焦点が当てられて嬉しい限りだ。
シリアスなシーンでは悲しいBGMを流しながら台詞を考えるわけだが
自分で作るゲームと違って、TRPGの場合
自分の予期せぬシナリオ展開や、GMしか知りえない展開が多くあるので
あらかじめ台詞を用意するなんて芸当はまずできない。
そのため、わりかし早めに台詞を考えなくてはならず
もうその場の空気で感情のままに書くしかないといった感じ。
今となっては、台詞に正解があるとすればこれが正解だと思うし
考えぬいた小奇麗さ満載の台詞より、よほど重みはあるのだろう。
ゲームに完成度を求める余り、小説家が一文の台詞を何度も推敲するように
体裁ばかり気にした台詞をキャラに喋らせてしまうのは
自分としても不本意だと未だに思う。
そういった意味では、TRPGは忘れていた、もしくは
意図的にやらなくなっていた何かを思い出させてくれる存在だと痛感する。
台詞づくりの、なんと難しいことか。
自分にとってのゲームが何なのか、ゲームの中の台詞が
どういった意味を持つものなのか、今一度、考えなおすべきではないだろうか。
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習慣の記録
自炊-(家で焼肉)
筋トレ×
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全滅回数
161回