どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

ファーザー

ファーザーという映画を見ました。

認知症の父親とその娘の話なんですが、認知症の父親視点で終始描かれる作品です。

自分もこうなったら、とかパートナーがこうなったら怖いなあっていう月並みな感想も抱くんですけど、とにかく視野の狭さの描き方がうまいなあと感じた作品でした。

「目の前のことしか考えられない」という物理的な狭さもあるんですが、それとは別に「今、この瞬間」という「時間軸の狭さ」もあると思うんです。

最近4歳時の女の子の相手をすることがあって思ったんですけど、たとえばデパートへ行って、陳列された棚の下段にプリキュアのお菓子を見つけると「プリキュア~!」って言葉を発するんですが、それについて大人が反応すると、その頃には別の視界に映ったものに興味が奪われている。

また別のシーンでは、こちらに向かって走ってきて、途端にコケた時、じわじわとその事実を認識して泣きそうになるんですけど、その瞬間に気を紛らわせるような行動をとると泣き止む、とか、その瞬間瞬間を生きている感じがすごいんです。ついさっきまでの時系列がなかったことになるというか。

また、先日公園で小学生男子たちが滑り台で遊んでいるのをみたとき、彼らの中ではそのすべり台、または公園が「世界のすべて」なんです。その場で即興で考えた遊び、世界観をもとに全力で遊んでいるあの感じ、なんだかみていて懐かしかったです。

これが大人になり、世界を知り、自分と世界の差を認識していくにつれて、そういった視野は広くなり、時間軸をその瞬間瞬間で捉えるのではなく、一生という長い人生で捉えるようになる。20歳になったらどうなってるだろう、30歳までには結婚してたいな、5,60歳になってもまだオタク活動してるのかな、80歳まで生きているだろうか・・・そんな風に。

そして老衰もとい認知症になったとき、世界を考える必要がなくなり、目の前、その瞬間だけを考えるようになり、その流れで幼児退行しているのも自然なことなのかなって思ってしまいました。

いやあ・・・ほんと怖いですね・・・。