今日は郁関連と、反物の行商人の顔グラとか描いてました。
郁って旧版忍屋は『ただ拐われるだけの存在』だったので、顔グラは1つしかなかったんですよ。でも新生忍屋は、キャラを掘り下げたことで生き生きしてて良いですね。なんかもう作ってて楽しいんですよ。納得のいくシナリオを構築しているんだという実感がすごくある。妥協とは違う、たしかな手応えです。
残り『120』種!!
今月中の素材完成目指してがんばるぞい。
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忍屋報告はそのくらいにして、本日はちょっと変わったお題です。
↓は私のTwitterでのリアクションの一例です。
『長門さんのツイートは100~300いいね』
対して
『忍屋のツイートは10~30いいね』
この違いをみて、皆さんはどう思いますか?
私はてっきり、版権モノの強さなんだと思ってたんですよ。もちろんそれもあるんですが、今回はもっと別なところにも答えがあったというお話です。これってたぶん、自分の好きな人がいたとして、その人がやってること全てが好きですか?っていう話なんですよね。
ちょっと自分に置き換えてみましょう。私にも好きなイラストレーターさんはいます。その人の描く長門さんが大好き!っていうイラストレーターですね。でも、その人のオリジナルに興味があるか?って言われると、まったくない。嫌いではないけど興味がない。それと同じことが、私自身にも起きているんだってことに気づいたわけです。なるほど。
面白いのはここから。
これは何も、創作に限った話ではありません。
人としての魅力もそうなんです。
この人は『人としては大好き!』って人がいたとしても『その人の作品にはまるで興味がない』っていうことも往々にしてあるわけですよね。それってすごくないですか?当たり前だと思うかもしれませんが、意外とそのことに気づけていなかった。これって、他にも色んなパターンがありますよね。
『人として好き、作品も好き』
『人として好き、版権の絵は好き、オリジナルは興味ない』
『人として好き、版権の絵は興味ない、オリジナルは好き』
『人として興味ない、作品は好き』
『人として興味ない、版権は好き、オリジナルは興味ない』
『人として興味ない、版権は興味ない、オリジナルは好き』
挙げればきりがないわけですが、つまりはそういうことです。
これらのことから何がわかるかといえば『あれ・・・私はあの人が好きなはずなのに、なんで作品にはまるで惹かれないんだろう、申し訳ないな・・・応援したいはずなんだけどな・・・』なんて罪悪感にかられることあったとします。でもそれって自然なことだよね?って話です。
ちゃんと自分が好きなもの、興味があるものを認めてあげましょう。その人が好きなのだから、その人の全てが好きに違いないっていう考え方は危険です。もしそれが当てはまる人物がいたとしたら、それこそある種、宗教のトップってことなのでしょう。
なので冒頭に戻って、私の場合で考えると『人としては知らないけど、長門さんが好きで、オリジナルに興味がない』っていう層が多いってことです。つまり、オリジナルに興味があるっていう層を増やす草の根活動をしないといけないわけです。
ここへきて、初めて版権モノの力って話になってくるわけですよ。版権モノは最初からファンが一定数いるのだから、認知されやすい。私の活動ひとつとっても、ニコ生時代からオリジナルのことなんてやってこなかったわけだから、知られてなくて当然なんですよ。ちゃんとなるべくしてなってるわけです。
作り手から考えるなら、版権で有名になりたいなんて思う人いませんよね。できるならオリジナルでチヤホヤされたいでしょう。でもそれだと大変だから版権の力を借りるわけです。でもそっちの味をしめてそればかりやってると、増える層は自分の版権を好きな層なので、オリジナルが好きな層が増えているわけではありません。増えた人に対して、人として好きになってもらうのか、その中からオリジナルも好きになってもらう人を大切にしていくのか。戦略は人それぞれだと思いますが、そういった部分を見据えて行動しないと、いつまでも自分の目指す環境にはなりませんよってことですね。
いやあ、人の興味って面白いもんですね。