Twitterで流れてきたおはなし。
仏教では、自分と他をくらべる「慢」という煩悩があるそうで、悟りを極めた阿羅漢という上級職にクラスチェンジするまで消えないそうです。つまりそれは人をやめるということと同義なので、人類がみな承認欲求にかられたり、クソリプを飛ばしたりするのは当然なことなんですよね。
問題はその事実を受け入れた結果、どう行動するかです。
私も今回、ひょんなことからフォロワー数が増えてしまって、これだけ増えたら自分の声も届くんじゃないかと錯覚して、普段しないようなツイートをしてしまいましたが、これも一つ反省です。普段と違う状況におかれると、人は冷静じゃなくなってしまうというのを身をもって体験できたのは大きかったですが。
承認欲求はものを作る上で大事な要素です。人として当然の欲求なので悪いことではありません。ですが、ひとたび扱い方を間違えば凶器になりますからね。クソリプマンの人生はさぞ大変だろうなと思います。自覚のないまま周りを攻撃し続けてるわけですからね。結果孤立という代償を背負うことを彼らは知らないわけです。
私はまだクソリプマンに出くわしたことはないですが、もしかしたら自分が当事者になっている可能性だってあります。おそろしいものです。自分がクチャラーだと知らずに、クチャラーしねって言っているようなものです。
人である以上、他と自分を比べることは避けられません。
別に比べてもいいとは思うんですよ。
でもどうせ比べるなら、自分のもてるラヴを分け与えるためでありたいものです。お代はラヴで結構ですので。