どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

人として成長させてくれたDQX

DQXの黒歴史、アスフェルド学園も廃校寸前。

昨日に新ストーリーが公開され、かつてのスク水に次いでブルマまで登場させたというのに、この人の釣れてない具合はドラクエというタイトルの年齢層をよく表している結果じゃないかなと思います。

(学園指定ジャージという名のブルマ)

今回のストーリーも案の定まじめにプレイしてはいません。

いつぞやのアプデで、十字キーの上を押しっぱなしにするとメッセージが自動でスキップされるようになったので、上を押しっぱなしにしながら更に加速させるために×ボタンを連打するゲームとなっております。

それでもスキップすることのできないイベントだったり、初めてツクールで作った作品か?ってくらい無駄に長いフェードイン・アウトや、まったく面白みのない戦闘を経て、なんとかクリアしました。

しかしここ最近、叩くという行為に疲れてきた感があります。

それに、その行為自体に自分を高める効果がないというか。

クソなものをクソだと思うなとか、そういうことではなくて、クソなものはクソなんだけど、初めからそういう姿勢でいると、クソじゃない部分を見逃してしまいますよっていう話。

この手の話は、昔からよく言われてることではあるけど、自分の特別好きなものに関しては、気持ちを切り替えるのは結構難しいことだと思います。私にとってのドラクエなんてまさにそうなんだけど、広い視野で作品と向き合うことはとても大事だなと思うので、どんだけ黒歴史だろうが、私はこの学園を廃校するまで見守ろうと思います。

DQXはほんとに人として成長させてくれる要素が多くて、エンドコンテンツの常闇シリーズを経て成長できた人はきっと少なくないはず。それ以上に、諦めて脱落していった人たちは多いだろうけども・・・。

常闇シリーズが出るまでは、ほとんどのボスに対して脳筋プレイで倒せてしまっていたけど、エンドコンテンツへきて急に高度なプレイヤースキルを要求されます。

ぬるま湯に使ってきたPLは、いきなり熱湯に突き落とされるわけで、そこではじめて人の本音みたいなものが垣間見えて、普段温厚だった人が「○○がもっとこうしないから!」とか「○○の位置取りがよくないから!」なんていう醜い争いが飛び交ってしまっていたのも事実です。

もちろん私も例外ではなかったけど、それでも諦めずにちゃんと向き合った結果、気づけたことはたくさんあります。

人に指摘する暇があれば、まず自分が完璧にプレイできるようになれ。

人はそう簡単に変えられないが、自分は自分の采配次第で変えられる。

原因を他人に求めるようになっていたらすでに赤信号だと思え。

他を一方的に叩くな。周りの意見に合わせるな。ちゃんと自分で考えろ。

自分の思考はなまもので、過去の自分に気を使うことはない。

エンドコンテンツの常闇の聖戦、黒歴史のアスフェルド学園。

この2つは関係ないように見えて、どちらも私自身を成長させてくれる要因となってくれたことは間違いないし、ここで気づけたことはMMOで人と触れ合って得た経験値なので、ゲーム以外でも大切な考えだと思います。