どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

理解と実行

DQXをやってて思ったんだけど、プレイ人口が多いだけあって

色んなタイプのプレイヤーがいる。

神がかったプレイをする人もいれば、どこか抜けてるよねっていう人。

ほんとに千差万別なんだけど、今日はそこに踏み込んでみようとおもう。

このボスはこういう技やってくるから

こういう初期動作が見えたらこうしてね。

すごく単純なことだけど、それを何度言ってもできない人がいる。

こういった事象に直面するのはゲームだけじゃなく現実世界でもそうだろう。

特に新入社員たちが蔓延るこの時期にはタイムリーな話かもしれない。

あの人は、なんで何度言っても理解しないんだろうとかね。

私も要領が悪い人に対して似たように思っていたんだけど

この度DQXのエンドコンテンツのイカと戦っていて気づいたことがある。

なにかといえば、私自身もできてないなと。

イカとの戦い方を事前に調べ、動画を見て、動きは理解できていたんだけど

20分間戦った結果、集中が切れるというか、ぼや~としてくる感覚があった。

こういう時、大抵私が引き合いに出すのは格ゲーの話だ。

数フレの差し合いはできているのに、なぜより簡単そうなDQXができないのか。

いや、DQXでも格ゲー的な瞬時の判断はできていたのだ。

DQXでも、こうきたらこう動く、といった瞬時の判断はできていたが

全体を通してみたときの意識の配り具合が違っていたのだ。

格ゲーでいえば、その場その場の反射的な動きではなく

自分にはこういった癖があるからそれをやめようといった感じが近い。

格ゲーをやったことがある人ならわかると思うけど

ラウンド全体を通して、自分の動きを修正するというのは相当に難しいものだ。

その難しさから、それを柔軟に変えられるプレイヤーはプロでも少ない。

つまりは長い目で見たときの、意識の分配ができていない。

「こうきたらこう避ける」といった瞬間的な知識はあっても

その前後の動きも含めた意識配分ができていないということだろう。

これがいかに難しいかという話だ。

話が変わるが、学校の教科書の話をしよう。

昨今、子どもたちが馴染みやすいよう、理解しやすいように

教科書はすべてフルカラーにしようという傾向がある。

しかし、その「色」という要素が加わり、情報量が増えたことで

理解の妨げになり、伸び悩んでいた子どもがいたという。

しかし、教科書を白黒にプリントした途端にぐんぐん理解し

その子が有名大学にまで進んだなんて話があった。

私は学校で習う数学が大嫌いだっし赤点もとったけど

自分が頭が悪いと思ったことは一度もない。

学校の成績が悪い=頭が悪いという教えを親父がしなかったからだろう。

むしろ学校の教え方が下手なだけとさえ思っていた。

本来、同じことを教えるにしても、子供の数だけ教え方は違うはずだ。

なので40人をまとめて教えようなんてのがそもそもおかしな話なんだけど

それは学校というシステムがあるかぎりは土台無理な話だろう。

冒頭で話した、どこか抜けている人たちも、もしかしたら

超絶神プレイをするようになる教え方があるのかもしれない。

その人にだけピンとくる伝え方があっても、何ら不思議はないはずだ。

よくDQXの攻略記事を見てると、人によって書き方というか

戦い方の伝え方が違うなあと感じていたがつまりはそういうことだ。

この技は雷属性でダメージは700程度、といった事実を書くだけではなく

すごく抽象的な文字列で攻略が書かれていることがある。

心のなかで○○と唱えながら~とか、時には声に出して戦ってみるとか

そういったことこそが、シンクロ率が高い人に響く、教え方なんだろう。

そんなわけで、明日はアプデ前に闘える最強イカとの決戦の日。

今日は予習の成果あってか、Lv3イカにはなんとか勝てたけど

後半まだまだミスが目立っていたので、明日は心のなかで

あるいは声にだして、常に意識配分をしながら戦ってみたいと思う。