どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

問題があらわれた!コマンド?

困ったことがある。

毎日のように、新居の目の前にタバコの吸い殻が捨ててあるのだ。

日によってはペットボトル内に大量に吸い殻がつめられて

捨てられていることもあったのでなかなかに質が悪い。

この一帯の民度の程度が知れるような行為だけど

よくまあ新築の玄関目の前に、それも花壇の真横に捨てれるなと

ある意味関心さえするのだけど、そういった行為をする人にとっては

そこがどこかなんて関係ないんだろう。

こういった問題点も、戸建てならではだと思いつつも

目の当たりにした瞬間は、さすがに心がすさんでしまった。

ポイ捨てそのものの対策はまた別途考えるとして

こういう問題点が浮上する度に心を病んでいては私の身がもたないので

根本的に、私の心の持ちようを変えてみることにした。

そもそも私の間違っていた感覚として

疑問なんてものは起きてしかるべき事象だったのだ。

何も起きない、平凡そのものが難しい世の中なので

問題にエンカウントしてしまうのは、勇者が魔物に会わないほど

避けては通れない道なのだと思う。

にも関わらず、人はなぜか目の前に問題が起こると

「なんで自分だけ・・・」といった感覚にば襲われてしまう。

反対に良いことが起きても、その事実に有難がったりしないのにね。

たとえば。

私たち夫婦の場合、両親がいい意味でいい加減だったので

結婚に関しては何も口を出されず(お金も出されなかったけど)

自由に挙式をあげれたし、婚約届けも出せたのだけど

その事実に対しては、何の感謝もした記憶がない。

私らにとっては、それが当たり前だと思ってしまっているからだ。

しかし世の中には、そもそも結婚が難しい家柄だってあるだろう。

にも関わらず、何も問題が起きなかったことに対しては

私たちは何も感謝をしなかったのだ。

つまり、自分にとってプラマイ0な状況を普通だと感じてしまいがちだが

プラマイ0以上がアタリで、それが理想の最低ラインということだ。

なので実際は、もっと「当たり前の普通」に感謝すべきなんだろう。

人は自分より下のものを見ると、それに比べて自分はマシと思うことがある。

これは上でいう「理想の最低ラインがさがった」ということだろう。

つまりマイナス3程度のところを最低ラインに定めたということだ。

自分は、狭い家、狭い道、民度の低い周囲の連中・・・。

しかし、それよりひどい環境下で過ごしている人たちを見ると冷静になれる。

人は自分より下を見つけることで安心する。

なんて汚い生物、しかしそれこそ人間らしいとも言えるだろう。

さて。

RPGに魔物が徘徊するのと同じで、下賤な連中は確かにいるのだ。

それらがこの世に存在してしまっている以上、避けては通れない。

だから、何か嫌なことがあったり、イラっとすることがあったり

問題点にぶち当たった時、頭のなかでこう唱えよう。

「問題があらわれた! コマンド?」

問題はエンカウントして然るべきものだ。

エンカウントせずに人生を全うするなんて、TASさんでもなければ無理なのだ。

起きてしかるべき、それを乗り越えてレベルアップする。

まんまRPGのそれではないか。

問題が出たら、出たな!問題め!という心構えで臨み

それを乗り越える術を頑張って見つけるのが人生というゲームなのだ。

それなのに、なんで自分だけ・・・と思うのは何も生み出さず

ただ自分の心を濁すだけの愚行といえるだろう。

まわりはクズばかり。

家の前にゴミをすてるやつも、ゴミ捨て場のゴミが半端に残って

うちの駐車場に散乱してるのも、すべてクズという名の魔物の所業。

じゃあ、そんなにいう自分はクズではないのか?

ベクトルは違っても、自分だってなにかしらやっているだろう。

そうして世界は回っているのだ。

乗り越えよう。

乗り越えて自分の理想の最低ラインを確保する。

それが人生というゲームなのだから。