年齢と立場に応じて、人との接し方って変わるものだ。
それは何も社会に出てからに限った話ではない。
これは俺が生放送をバリバリやってた時代の話だ。
お絵かき配信をやっていると、多くの人が訪れる。
中学生~ベテラン社会人まで幅広い。
40歳くらいの社会人がいたとしよう。
年上だから当然、それなりの対応をとるだろうけど
この40歳という設定に、プロのイラストレーターであるとか
プロのゲームクリエイターといった肩書を付与すると
途端に対応が変わってくる。
ここだけ読むと、そりゃ憧れの対象なんだから
当然でしょって思うかもしれないけど本質はそこではない。
ここで少し視点を変えて
中学生からみた当時の俺を客観視してみる。
どうみえるだろうか?
まだまだ未熟な少年たちからすれば、自分にとっての
『年上+憧れの存在』になっているかもしれない。
すると、少年たちの対応はどうなるかといえば
憧れへの『緊張』と不慣れな『気遣い』などが相まって
特有なしゃべり内容になってしまうことがある。
自分のことを知ってもらいたいという気持ちが先走りながら
でも相手のことも気遣わないとと焦る気持ちだ。
それは自分より上と認めてしまう存在がいる限り
誰にでも訪れるはずだ。
毎週土曜日にやってるTRPG仲間が初めて集まった時もそれだった。
みんな年上で、作り手としても上の存在。
そんな中で、自分だけが空回りしてるのがわかっていながら
必至に自分の居場所を探しているような、そんな状況。
TRPGのレベル上げ終わりに、ここぞとばかりに
えぬさんと長時間チャットをしていたんだけど
話してる時っていうのは周りが客観視できていないもので
前述した空回りしてる中学生状態だったなと後悔するのである。
自分語り、例え自分のことでなくても
自分の持ってる知識の披露会であったり、そういったものほど
鬱陶しい物はないだろうに、そんなこともわからず話してしまうのは
紛れも無い上の存在と話している証拠なんだろうなと思う。
そんな中でも聞き手に回って、ちゃんと返事もしてくれる相手の
大人の対応力というものに後から気づいてまた落ち込むのだ。
冷静に判断できない語り手は、ただただ調子に乗ってしまう
だけだというのに、なんともたちの悪いことだ。
こう考えてると一番話してて楽しいのは、お互いを認め合って
気兼ねなく話し合える仲なんだろうとも思うけど
それはそれで自分を主張したがる傾向が強くなり
一概にそうとも言えなさそうである。
いつだって誰とだって
聞き上手であり、話し上手でいられるようになりたいものだね。