友達の友達に3月の誕生日の人が多いということで
それに誘われて誕生会に行ってきた。
まあなんというか、一般人の輪にはもう入れないんだなと実感。
趣味が偏りすぎた上で、専門に行くとそれが当たり前になって
会社に入ってからもその趣味が共通してる環境下にいるせいで
一般人との会話とか付き合いっていうものができなくなっていた。
できないというか単純に息苦しく、終始海の底にいる気分。
酒の力を借りないと息ができない居心地の悪さ。
そう、例えるならベトナムのそれに近い。
文化の違いでそもそも会話をする気にならないあれ。
あと一般人の盛り上がりどころがわからない。
いや、わかるんだけど同じ所で同じように盛り上がれない。
あ~一般人はそこで盛り上がるよねっていうのを
傍から眺めることしかできない。
一般人一般人と差別化している、あるいは貶しているように
聴こえるかもしれないがそうではない。
以前、プロゲーマーのウメさんが言っていたことがあった。
自分の周りの大学生がウェーイウェーイやってるのをみて
一緒になってウェーイしたかったけど、自分にはそれができなかったと。
あれ聞いてて悲しい気分になったけど、今回まさに同じ気持ちで
一般ではない人には、この枷が付き物なのだと思い知らされた。
溶け込めるものならそうしたいけどそれができず
それでも、できもしない愛想笑いで数時間を乗り切ったけども
これが定期的に続くのかと思うとあまり考えたくはない。
思い返せば自分がいままで27年生きてきて
心を開けた人って誰だったんだろうと考えたときに
家族ですら5割くらいだろうし、専門の友人たちで6割くらい。
親友と呼べる蝉で8割くらいで一般人に対しては1割くらい。
で、冗談半分でファミリーと呼称していた
クズイプのメンバーに対しては10割近く心を開けて
素の自分でいられたんだろうなと思えるあたり
ほんとにファミリーだったのかもしれない。
この割合って、気を遣ってる具合と連動してると思うんだけど
家族に対してはあっちもこっちもみんなの意見を聞き入れた上で
発言するから五分五分に気を遣って接するため5割とかそんな具合。
そう考えるとクズイプメンバーにはもうちょっと気遣いがないと
いかんなと思いつつもまったく反省してない気がする。
保育所のときの3月誕生会もそうだったけど
27年たった今でも3月誕生会は好きになれそうにない。