どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

一般人の集い

友達の友達に3月の誕生日の人が多いということで

それに誘われて誕生会に行ってきた。

まあなんというか、一般人の輪にはもう入れないんだなと実感。

趣味が偏りすぎた上で、専門に行くとそれが当たり前になって

会社に入ってからもその趣味が共通してる環境下にいるせいで

一般人との会話とか付き合いっていうものができなくなっていた。

できないというか単純に息苦しく、終始海の底にいる気分。

酒の力を借りないと息ができない居心地の悪さ。

そう、例えるならベトナムのそれに近い。

文化の違いでそもそも会話をする気にならないあれ。

あと一般人の盛り上がりどころがわからない。

いや、わかるんだけど同じ所で同じように盛り上がれない。

あ~一般人はそこで盛り上がるよねっていうのを

傍から眺めることしかできない。

一般人一般人と差別化している、あるいは貶しているように

聴こえるかもしれないがそうではない。

以前、プロゲーマーのウメさんが言っていたことがあった。

自分の周りの大学生がウェーイウェーイやってるのをみて

一緒になってウェーイしたかったけど、自分にはそれができなかったと。

あれ聞いてて悲しい気分になったけど、今回まさに同じ気持ちで

一般ではない人には、この枷が付き物なのだと思い知らされた。

溶け込めるものならそうしたいけどそれができず

それでも、できもしない愛想笑いで数時間を乗り切ったけども

これが定期的に続くのかと思うとあまり考えたくはない。

思い返せば自分がいままで27年生きてきて

心を開けた人って誰だったんだろうと考えたときに

家族ですら5割くらいだろうし、専門の友人たちで6割くらい。

親友と呼べる蝉で8割くらいで一般人に対しては1割くらい。

で、冗談半分でファミリーと呼称していた

クズイプのメンバーに対しては10割近く心を開けて

素の自分でいられたんだろうなと思えるあたり

ほんとにファミリーだったのかもしれない。

この割合って、気を遣ってる具合と連動してると思うんだけど

家族に対してはあっちもこっちもみんなの意見を聞き入れた上で

発言するから五分五分に気を遣って接するため5割とかそんな具合。

そう考えるとクズイプメンバーにはもうちょっと気遣いがないと

いかんなと思いつつもまったく反省してない気がする。

保育所のときの3月誕生会もそうだったけど

27年たった今でも3月誕生会は好きになれそうにない。