どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

名探偵コナンという作品

T-falで作った最初の料理は、人参しりしりでした。
フライパンの表面がビビるほどツルツルで新品!って感じです。

あと、久世福商店のタルタル消費のために、サーモンフライを作りました。
やっぱり揚げ物は油ケチると作るのムズいですね・・・。

さて、Youtubeにコナンのなんたら考察~みたいな動画がでてきたんですが、そういえばコナンのこの手の動画って見たことなかったなと思って、ラムの正体もわかったことだし見てみたんです。

で、色々見ててふと思ったのが、私はコナンという作品を、無意識に舐めて見てたなということに気づいたんですね。

コナンは長く続く作品なので、それこそ先入観や固定観念というものが、幼いときの記憶から停滞してるのが原因の一つだと思うんです。

それは何かというと、たとえば、普通人の体は縮まねえだろとか、悪の組織がジェットコースターに乗らんやろとか、ピストルの指の動き見てから弾丸交わすの余裕でしたとか、都大会優勝してるから自衛隊やプロの殺し屋相手でもなんとかなるとか、実は怪盗キッド赤井秀一ベルモットが変装してました~って設定にすれば何でもありじゃねえかとか、キッドと新一が瓜二つなのは同じ作者の作品だからただのファンサービスだろうとか、コナンが小さくなってまだ半年くらいしか時間経過してないのにバレンタイン何回来てるんだとか、阿笠博士の発明品がドラえもん並にやばいとか、この作品にはそういう設定が山ほどあるじゃないですか。

そのあからさまなファンタジー設定がたくさんあるせいで、実はそんな中に紛れた大真面目な設定を隠してしまっているんじゃないかって思ったんですね。

コナンは縮んでて当たり前という先入観があり、そこに付随して、もとの大きさに戻れるのはパイカルの酒を飲んだときという設定まで、ある種セットになって覚えてしまっている節があると思うんです。

そこをもし、それはなぜだろう?って考えれていれば、たとえば風邪を引いてコナンの免疫細胞が衰えているときだからとか、そういうもっともらしい設定があれば、アポトキシンに対する抗体持ちがコナンってこと?といったバイオのS.T.A.R.SよろしくTウィルスの抗体持ちって設定に早変わりなわけです。でも、幼い頃からずーっと見ていると、そんなこと考えもしなかったですよね。

キッドと新一が蘭が見紛うほどの瓜二つなのも、ただのファンサービスだろうって思っちゃってるけど、本当に何か真面目な理由があったとしたら、例えばキッドの親父が黒の組織のボスだったとしても急におかしな話ではなくなるわけです。

青山剛昌先生は、それはそれはミステリー物が大好きなわけじゃないですか。アガサ・クリスティやらシャーロック・ホームズが大好きなわけですよ。そんな人物が、自分の人生をかけて描いている作品に対して、そんな雑な設定だらけのミステリーを描くとは到底思えないなって思ったんです。ということは、我々がありえないと思っているネタとしか見えない設定の中に、実はとんでもない巨大な伏線なり、ミステリーを楽しませてくれる要因を仕込んでいてもおかしくないなって。

そんなわけで、25周年ぶりに、ちょっとコナンを見る目が変わりました。

これからの展開がますます楽しみですね。