どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

Twitterにおける需要と供給

嫁がオタ活に本腰を入れ始めてからというもの、Twitterを見る頻度が増えたようで、私のことを散々ツイカスって煽ってたのに今やブーメラン状態になってます。同時に絵も描き始めたことで、供給側の気持ちとかそんなところまで気にするようになりTwitterの暗黙のルールとかそういうのが面倒くさいねって話をしてました。

なんだか喫煙マナーをちゃんと守ってる喫煙者みたいですね

ほんとね、世の中はクソリプで溢れかえってるんですよね。でもそれが世の中であり、人々の大半なんです。つまりはそっちが正常。正常であり異常。それを異常だと思わない人たちが群がって世の中が形成され、それを異常だと認識できる者たちは、ただ声を殺して発言しなくなるのです。

ネガティブな発言はやめましょうとかよくいうじゃないですか。確かにそれはそう。視界に入るだけで不快になりますからね。ミュートやブロックすればいいだけですけど、じゃあネガティブな発言をする人は何のためにするのかって気もします。ただ公の場に吐き出したいんですかね。しかし、これはただの呟きなので、Twitterの本来のあるべき姿とも言えます。なんだか喫煙マナーをちゃんと守ってる喫煙者みたいですね。本人は間違ったことはしてないけど、周りには迷惑をかけてしまうっていうあれ。マナーを守ろうが迷惑ってかかるのが世の中です。

クソリプはするな、反応はくれという供給側」と「思ったことをつぶやき、好きなものを好きという需要側」

そんなことを考え始めると、そう安々と呟きなんてできないんですよ。なんのためのツールなんだかわかんなくなってきます。供給側からすれば、そのほとんどが宣伝目的であり、需要側からすればそれに反応するのが仕事なわけです。だから得てして需要側のクソリプが目立つ──そんな気がします。

そして全体の人口はおそらく需要側が圧倒的に多い。なのでこういうサイクルになるのは必然なんですよね。だって供給側は何か宣伝をして、それに対して反応が欲しいわけじゃないですか。承認欲求ツールなので当たり前なんですが、上記のことをまとめると、その反応をしてくれるのは、アカウントの大半を占める需要側の皆様なわけです。供給側が供給側に反応するなんて、ただの宣伝活動か馴れ合いですから。

クソリプはするな、反応はくれという供給側」と「思ったことをつぶやき、好きなものを好きという需要側」・・・おやおや、こうしてみると、クソなのは供給側のような気がしてきました。おやおやおや。これは面白くなってきましたね。実は正常だと思っていた我々が正常だと勘違いしていた異常だったとは。おやおやおや・・・。