どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

ブログを書いたほうがいい理由

ゲームやってると、胸糞なエピソードってありますよね。

パッと思いつくところで、DQ7レブレサックやBOF4の呪砲などです。

 

これらは、みんなのトラウマとも語られる話で、感動した、泣いた、悲しかった、といったありふれた感情とはまた違った存在感を放っています。「胸糞」という感情は、その作品の大きなスパイスとなることは間違いないですね。

 

人の醜さだったり、実は人間でした絡みだったり、やるせなさ、どうしようもなさ、マモレナカッタ...など、そういったものが描かれるのが胸糞エピソード。そういった話を書くことができれば、物語に一層の深みを持たせられる気がして、挑戦してみたいなあって思うんですけど、私にはほんと向いてないというか、書けないんですよね。

 

これは以前も記事にした「ダークファンタジー」で言ってたことなんですけど。

 

ていうか、ほんとさ・・・・・・、、、

 

この昔の記事を読んで「え…昔の自分、そんなことに気づいてたの?知らんかったわ…」ってなることの多さですよ。これって大問題ですよね・・・。

 

だって、てっきり今の自分って、過去の自分の気づきや発見を全部網羅した人間になってるって思うじゃないですか。一度は気づいたんですよ?ちゃんとそれを活かしたまま今を生きれてるって思うじゃないですか。でも実際はそうじゃない。気づいたことに忘れる生き物なんです人間。

 

人の名前や、歴史や数学といった学力、日々使ってるソフトの使い方…そういったものは使わないと忘れるものって知ってるくせに、今回のような「形のない気づき」については、忘れるっていう発想にありませんでした。何言ってるかわかんないかも知れないですが、これって本当に恐ろしいことです。

 

たとえば私が再三言っている「ガッチャマンクラウズ」ですが、言ってしまえば、このアニメを見て気づいたことさえも、いつか忘れててもおかしくはないってことなんですよね。ただその感動具合が大きかったのと、ブログやTwitterで何度も書いてるから忘れてないってだけかもしれません。

 

日々の何気ない気づきっていうのは、その場限りの夢のようなもので、気がつけば忘れてしまっているなんてことは、これまで何度もあったはずなんです。実は今回のことに限らず自分の過去の記事を読んで、昔の自分に学ぶことって本当に多いんですよ。そう考えると、世のほとんどの人は、忘れたことに気づかないまま生きてるかもしれません。

 

ついでにいうと、この日イナナキアの設定を考えてて似たような現象がありました。

 

ネタ帳にしてるGoogleスプレッドシートを読み返してて、昔考えた台詞を読み返してると、ものすごい感動することがあるんですよ。「え……めっちゃいいこと言ってるやん……」って。ただの自画自賛に聞こえますけど、この際そこはどうでもいいんです。ブログなりメモなりを残しておかないと、確かに気づけていた過去の自分という存在がなくなっているという事が問題なんです。

 

そんなわけで、みなさんブログをつけましょう。

私も喜びますが、他でもない未来の自分が、喜ぶはずですから。

 

Web拍手レス

GWは長野でしたか。写真みても何処か分かりませんでしたが(県民なのにw) 私は地元老舗の蕎麦屋の総本店で食べてみたいと小諸に行きましたが、ついでにと寄った懐古園が、あの夏の聖地だった事を初めて知りましたwど田舎の観光地にアニメの大判ポスターが貼られているのは中々不思議な光景ですなw

 

聖地となって町おこしになるのは大事なんでしょうけど、単純に田舎の風景を楽しみたい場合には、ちょっと考えものかもしれませんね。

 

こんにちは、いつも楽しくブログ見させてもらってます! UE4楽しいです、ずっと講座動画とか参考書とか見てるだけだったのが、なんか急に色々出来るようになっててアレやりたいコレやりたいでMMDそっちのけですw ここ最近MMDのモチベが下がってたんで新しいことやると止まらなくなりますね。 それにしてもゲーム制作、先は長い@長月チャカ

 

私がUE4に手を出す頃にはもっと楽になってないかなーとかラクすることばかり考えてしまってます。ツクールが3D対応したエンジン作ってくれれば一番いいんですけど、このご時世にアクツクの続編だしてるようじゃ最高に期待薄ですが・・・。