どこここブログ

10年以上続くナナブルクの人生譚

開発者が見え隠れするセリフ

ゲームを遊んでて、登場人物のしゃべったセリフの向こう側に、開発者の顔が見えることってないですか?

私はたまにあるんですが、この現象が起きると感情移入できないどころか、気持ち悪いったらない状況に陥ります。仮に「きちい現象」と名付けましょうか。

現状、分かっている範囲で、セリフの向こうに開発者が見えてしまう理由は3つあります。

1.開発者たちのメディア露出

2.ゲームに没入できていない

3.あざとい(誤用)セリフ回し

主にこれらが合わさることで「きちい現象」が起こります。

今でこそ作り手の露出は増えてきましたけど、昔は子どもたちのもとへクリエーターの顔なんて届きませんでした。子どもからすれば、ゲームはゲーム内で描かれるものが全てです。なので、ゲームを作っている人がいることは分かっていても、あらためて言及しようとはしませんでした。

年をとるに連れて、私たちは事前情報を仕入れるために雑誌を見たり、発売前の生放送を見たりすると、今まで目にしなかった小汚いおっさんたちが映っているわけですね。別にそれだけだと何の問題もないんです。この人たちが作ってるんだ~すごいなあって思って終わりです。

しかし、ここで得た情報に2つ目と3つ目の理由が加わると、事件は起きます。

特に面白くない展開のまま、狙ったようなセリフなどが出たときに、ただでさえ没入できてないのに狙ったセリフによって現実へ引き戻されます。結果として開発者の顔が見えて「きちいよ・・・」となるわけです。

没入できていない状況下で、可愛い女の子があざといセリフをあざとい演出のもとにしゃべっていると「うけると思ってこんなきちいセリフ書いたんかな・・・」と決して思ってはならないことを思ってしまいます。

私もひとりの開発者として、自分の書いたセリフに対してきちいよ・・・と思うことはあります。そりゃあるんですよ、勢いに乗れてない時、しぶしぶひねり出したセリフなんて全部嘘くさいし、それがあざといキャラのセリフとかだったらどうしてもこのきちい現象は起きてしまいます。

なので童心を忘れてしまった私の書くセリフは味気ないんですよね。全て無難。開発者としては失格ですね。そんなときに思うのは、これはあくまで私が作り出したキャラが喋っているセリフだ、断じて私というおっさんが喋っているわけではないっていう至極当然の言い訳です。当然なんだけど遊び手はそんなこと知りません。

悩んだ挙句、要は没入させられていないのが悪いんです。つまんないってことですからね。どれだけきちいセリフだろうが、没入にさえ成功していれば、すべて世界観の一部として溶け込むので違和感が介入する隙はありません。それどころかキャラも起って世界観が際立ちます。

そういった意味では、開発者のメディア露出は没入感を少なからず邪魔している気がします。とはいえ、実際に表へでてユーザーの声を聞きたいと思うのも、至極当然な欲求なので難しいジレンマだとは思うんですけどね。

前述したように、セリフを何度も推敲していると嘘くさいセリフになったりしますが、それでもクオリティの高いものには仕上がると思います。ただどうしても、私の場合そこに気持ちが乗り切っていない気がします。昔のように、思ったことをそのまま書き殴ったときの拙い感じが未だに好きな自分がいます。でもクオリティだけを見れば低いのもまた事実。どちらも大切なことだと思います。

推敲して高水準のセリフを叩き出すことも大事だし、気持ちを100%アウトプットする力も養わなければならない。そういう意味では、TRPGはその場その場で時間制限のような縛りがあるなかでセリフを書かなければならなかったので、とてもいい刺激だったなあと思います。

というわけで、上手いセリフ回しは、上手い導入があってこそなんですね。開発者の顔を見せずにっていう意味でいえば、私なんかは事あるごとにブログに書いてるので最悪な状況だと思うんですけどね。

顔っていうのは物理的な意味ではなく、素性が明らかか不明瞭かっていう意味ですね。大御所クリエーターなんてほっとんど公に出ないから謎に包まれてるでしょ?

そういうのって、大事だと思うんですよ。私もいちユーザーとして、あの人をもっとみたい!っていうのはありますけど、それは同時に、いずれ自分の首をしめることになるのかもしれませんね。