どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

プロの壁、アマの壁

上田さんのトリコのインタビューが続々とあがってて

毎度楽しみながら読んでるんだけども、素朴な疑問がある。

何かと言えば、モチベーションについて。

好きでゲーム作ってるプロは、モチベーションは消えない。

というのが勝手なイメージとしてあったのだ。

しかしまあなんとも低レベルな勘違いをしていたなと。

私個人のことをいえば、ゲーム作りが楽しかった日々を思い返すと

モチベーションに困ったことがほぼ無かった。

これは言い換えれば、以前えぬさんが言っていた

キャラが勝手に動くということなんだろう。

私の見解だと

勝手に動く = 制作が止まらない、詰まらない

と置き換えられる。

それはもう、作るのが楽しくて楽しくて

作ることこそが最高の娯楽なんだから

そりゃあモチベーションは消えることなく、一気に作ってしまう。

自作で言えば、なかなかの長編RPGだったZetima

素材ありきのツクール仕様全開の環境だったとはいえ

それを加味しても、あの物量を半年で完成させたことを考えると

モチベーションの成せる技としか言いようが無い。

しかし、それはなにも挑戦していなかったからだろう。

挑戦をすれば、そこには壁が現れる。

挑戦をしなければ、壁は現れない。

現れたとしても究極魔法の『妥協』を使えば

簡単にぶち破れるベニヤ板みたいな壁ばかりだろう。

しかし、プロとは常に挑戦しているものである。

プロも御用達の『妥協』を使っても

新たな壁が現れる特殊ギミックを兼ね揃えた厄介な壁だ。

今の私にはそれとまったく同じことが起きている。

挑戦の連続なのだから当然だろう。

そんなことに気づいていなかった。

プロは終日ゲーム制作に時間を割ける。

私たちは仕事終わってからの数時間しか割けない。

だからモチベも消えやすくて当然、進まなくて当然。

そんな甘ったれた考えを持っていたことが情けない。

挑戦をするということは、それほどまでに大変なことなのだ。

おかしいなあ。

これまでブログで何度も書いてきたと思うけど

そもそも忍屋リメイクを作ろうと思い立った時の最初の理由が

今度は素材を1から作ったらどうなるだろう!

だったのだから、そりゃ挑戦以外の何物でもなかろうに。

そこんとこを若造の私はまるで理解していなかったんだなと思う。

上田さんは言いました。

ICO』も『ワンダと巨像』も自分がゲームプレイヤーとして“こういうゲームが遊びたいんだ”という想いが制作するうえでのモチベーションになっていて、『トリコ』も同じ想いからスタートしているので、実際に遊んで喜んでくださるお客さんがたくさんいるといいなと、祈りながら作っているようなイメージです。

そうだったなあ。

今はこんなに可愛がれていない忍屋だって

最初は大好きなゲームたちに憧れて

自分が遊びたいゲームを作ってやろうって思ってたなあと。

ここへきてまたひとつ、どこかに落っことしていた

大切なモノを拾えた気がする。

作ることは大事だ。

作り続けることはもっと大事だ。

だけど、たまには立ち止まって振り返ることも、大切だね。

え?立ち止まって他の娯楽に逃げる?てめえはダメだ。