どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

劇場版ドラゴンボール 神と神



動画:映画ドラゴンボール神と神

天気:晴れ

ドラゴンボールの最新映画見て来ました。
以下ネタバレ含む私の感想なので、まだ見てない人は読まないように。

まず最初に、この作品について面白かった面白くなかったという感想自体が
おかしな話であると感じた。

というのも、この映画は映画という単体の作品でありながら
これまでのドラゴンボール全作品(たぶんGTは除く)
更には鳥山明という人間像も含めたものの果てにある物語であって
単体で評価していいシロモノではないと感じたからだ。

これまでがあって、はじめて生きてくる作品。

なので昔ドラゴンボールを少し見ましたとか、昔全部見てたけど
あまり覚えてないけどね、程度の人が見るには勿体ない作品。

このドラゴンボールという作品は一度完結している。

そこに他者があれこれ話を後付することなんて、アニメにかぎらず
ゲームでもざらにあることだが、今回は原作者である鳥山明自ら
関与しているところが、非常に重要
なのだろう。

一度は終わらせた作品、悟空は強くなりすぎた。

恐らく鳥山明でなければきっと最新映画といったところで
さらに強いのでてきて元気玉で倒して終わりといった流れになっただろう。

しかし、この作品を見ていて鳥山明
本当にドラゴンボールを終わらせたのかもしれないと思えた。

悟空は純粋に強さを求めて、これまで何度も地球を救ってきた。
その悟空が破壊神ビルスには歯がたたない。
いつもならそのまま修行して強くなろうとしたかもしれないが
すぐに地球を破壊すると言い出してはどうすることもできない。
物理的に時間がない。たとえあったとしても単純な戦闘力だけでは
おそらくビルスには勝てなかっただろうけど。

超サイヤ人ゴッドという存在もよかった。
ネーミングこそあれだが、誰がつけたか知らないその名前も
劇中でもネタにされる程度だから自覚があっていい。

むしろ、らしい。

相手は神。こちらは神ではない存在。
その間に決定的な差があることを思い知らされる。
この際、界王神なんかは忘れたほうがいい気もする。

以前蝉から聞かされた、無限を超えた無限の話を思い出した。
ある一定の線を超える瞬間ってこうなのかなと。
鳥山明だからこそできた、これまでのドラゴンボールとは
明らかに一線を超えた先の展開。

超サイヤ人ゴッドは悟空ひとりの力ではなく、5人の力を借りて成れるもので
その状態でなければビルスと対等に戦えないことが本当に悔しそうだった。
この時の悟空の不満そうな描写が長く描かれたのが印象深い。
そんな悟空を見ていてこっちまで悲しくなってきた。

あと超サイヤ人ゴッドのデザインもよかった。
なんというか界王拳の悟空のようでいて、そうじゃない穏やかな感じ。
その悟空をみた誰かが、悟空痩せたか?といったのも
これまでのインフレにつぐインフレを覆すことを誇張したような表現だ。
強さ、筋肉ではない神という表現。それが非常にうまくできていた。

そして時間切れで通常の悟空に戻ってしまってからも
対応に渡り合えている演出も最高。

その理由付けもしっかりできていたし悟空はやはりすごい。
センスが凄まじいというのも魅せつけられた。

挿入歌もマッチして良い感じだった。

ビルスというキャラも憎めないキャラで、破壊神という存在ゆえに
その我は通す、通すが、情もしっかり持ち合わせている素敵なキャラクターだった。

あと見た人みんな言ってるけど、ベジータはカッコ良かった。
愛などくだらないといってたベジータが愛の力で悟空を超えるなんてね。

そんなこんなで、非常に素晴らしい作品だった。
この映画もだが、ドラゴンボールという作品を改めて認知させられた作品。

繰り返しになるが、一度終わった作品を
もう一度原作者自らが書き起こした結果どうなるのか。
それにしっかりと、視聴者が期待する以上の結果を生み出してくれた。
さすがとしか言い様がない。

最後のスタッフロールの演出で泣きそうになった人は多いのではないだろうか。
そして何人が気づいただろうか、スタッフロールのあのコミックを
1巻からぺらぺらめくっていくあの演出が、一定のめくり方ではなく
数種類のめくり方が用意されていたことに。
どうでもいい部分ではあるが、作りこみを感じる。

今回の作品で欠点があるとすれば、ゲスト出演が必要だったかどうかはおいといて
ビーデルのデザインを、昔のままにしといてほしかったなぁと…。



体験版完成まで、あと153日。

今回の映画みてこれだけ感動したけども、俺はドラゴンボールはもちろん好きだが
やっぱりそれ以上に、鳥山明の絵というか世界が好きなんだなと実感した。
過去を振り返っても、俺が絵見て泣いたのはドラクエの絵だけだったものね。