どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

人類みな黒し


画像:ふりるめんどくせ

天気:晴れ

人との接し方について、最近やたらと考えることの多い。
これまで、心の中をさらけ出せるのは
心の中をさらけだしてくれる相手だけだろうと思っていた。

確かにそうかもしれないし、そのほうが気兼ねないかもしれないが
どうやらその限りでもなければ、それがベストなわけでもないようだ。

ただの嫉妬から生まれる文句がある。

他人の悪口をいう、他人を否定する。
これらのことをする場合、それはその人が自分より秀でており
羨ましい箇所がある際に、そういった行動にうつってしまいがちだ。
文句ばかりつけて相手を認められない、自分の弱い一面が伺える瞬間である。
真に真摯で、謙虚な姿勢を持つ人が好かれるのはそういうことだ。

実際問題、ここに偽りの感情があったって構わないのである。
偽りでとった真摯な態度も、思ってもいないことからでる謙虚な姿勢も
言ってしまえばただの社会常識、人付き合いの常套手段、一種のマナーだ。

冒頭に言った、すべてをさらけ出すスタイルで生活をしていると
それはいつか、さらけ出せていた相手と噛み合わなくなった時に困る。
包み隠さず話せる相手だと思っていた相手を失うのは怖いので
そこで結局、その相手に対しても偽りの自分を作らざるをえないのだ。

なにより、自分の価値観の話を持ちかけ押し付けたところで
誰も幸せにならない、あるいは不幸が生まれる可能性まである。

共感、承認、それらがクリエーターたちの生きる糧になっていることは
割りと的を得ているところだと思う。

好きなもを共有したいと思うのは当然の感情だろうし
自分の努力を認めてもらいたい、持ち上げられて得意になりたい。

また、同じ話題で議論し合っていること自体に酔いしれて
討論してる俺かっけえ現象に陥るのも、発展途上の人材にありがちな現象だ。

自分の大好きなクリエーターや尊敬する人がいたとして
その人と関わることが少ないが為に、勝手にいい印象を植えつけて
いざその人の素が分かるとギャップに驚いてしまうなんてこともよくある話。

Twitterでものすごいしょうもない一言をリツイートしちゃってる人も。
心の中では、こんなクソしょうもないツイートを
何千人、何万人のフォロアーがいる俺がリツイートしちゃうもんね的な
ほら面白いだろ?的な、もう言葉では伝え難い感情が働いていたり。

こんな一部だけ見ると少々負のオーラさえ感じる心情も日常茶飯事である。

何が言いたいかといえば

人は、みな黒い。
(ごく一部の人を除いて)

人は黒いが、黒いことをさらけ出さない。
大体のひとがそれに気づいていながら、そこに触れない。
その為、あまりお近づきになれないかもしれないが
だからといって何でもかんでもさらけ出せばいいというわけではない。
マナーを知り、場をわきまえた謙抑的な態度が大切である。

黒いことは決して悪いことではない。
人間の本質に近しいものだから、むしろ当然の感情だと言える。

人間社会で生きていく上では、あまりに当たり前のことなのに
次第に忘れてしまっていたように思う。