どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

続編とあとづけとぽっと出

世間的に「あとづけ」って嫌われがちですが、それってなんでだろうって疑問に思った話をしてましたナナブルクです。

言ってしまえば「あとづけ」って「続編」みたいなもんじゃないですか。たとえば天下のドラクエ3なんて1を作った頃から考えてたわけじゃないけど、ちゃんと面白いし評価されてるわけです。あれをあとづけと称する人はあまり見かけません。私の好きな天誅だって、2は過去編で1の頃からあった設定ではありません。でもこれもあとづけではなく「続編」ですよね。

じゃあ「あとづけ」ってなんだろうって考えると「説得力のないもの」もしくは「納得できないもの」を総じてそう呼んでしまうんじゃないかなと。

あとづけとしてよく話題にあがるワンピースの「覇気」なんてものがあります。でも、あれはシャンクスが海王類を退けたときに使ってたから最初から設定あっただろう!とか、空島ではマントラって呼ばれてただろう!っていうそれっぽい伏線のようなものがあるにも関わらず、伏線回収とされず「あとづけ」にされがちです。これはなぜか。

それはおそらく、突如「覇気」という全世界で共通の用語にまとめられてしまったから。これがもし、各島々、各種族で違う呼び方がされていて、それこそマントラのような呼び方が他にもあって、それらが実は同じ力をルーツとしていたものだった・・・とかなら、なるほどなあってなったかもしれません。

ただこれに関しては、連載作品においてそこを突き詰めて納得させる設定をあとづけしろっていうのは無理があるので、漫画とゲームとで比べること自体がそもそも違うなって思うわけですが、結局は納得できる内容になっているかどうかって話だと思うんです。

FF14のストーリーなんてその最たる例で、あんなにも後付の連発をされてるのに感動しまくるのは、その内容が納得を通り越して関心に変わっているからですよね。

後付のように感じる現象として、ゲームというジャンルで、それも同一作品内でもそれが起こることもあります。

それが「ぽっと出」。
ゲームだと一番多そうです。

たとえばDQ5ミルドラースとか、FF9ペプシマンとか。事前にその情報を知るすべがあったとしても、寄り道前提になっているとぽっと出と称されがちです。

でも、ぽっと出が何もかも悪いのかっていうとその限りでもないんですよね。

たとえばDQ2のシドーなんかは良い例です。最後の最後までその存在がわからず、突如破壊とともに召喚される破壊神なわけです。おまけに一言も言葉を発さない。だからこその恐怖っていうのはあると思うんです。テイルズオブリバースのユリスなんかもそれに近い。あれはテイルズって作品柄ちょっとチープに見えがちだけど、個人的には不気味で好きなんですよね、ユリス。

とまあそんなことを夜な夜な話してたんですが、いざ自分でシナリオを考えるときには、そのあたり気をつけて考えておきたいものですね。