どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

何をもってそう呼ぶのか

ドラクエ10の最新バージョン3.4の情報がでました。

もうね、だいぶ前からそうだったんだけど

もはやドラクエではないよね。

しかしここで浮上する疑問。

いったい、何をもってドラクエではないと言うのか。

私からすれば、ドラクエ堀井雄二のテキストがないと

ドラクエではないような気がしていたが

それはきっと兄が隣で散々そう唱えてきたからだろう。

ドラクエだって古くは4の頃からサブシナリオライターがいたものだ。

じゃあその時点で堀井節はしんだのか?といえばそうではないだろう。

ようは世界観が既存のドラクエとかけ離れたらまずいということだろうか。

絵だって、鳥山明とかけ離れたものが出てくれば嫌だろうし

音楽だって、いきなり桜庭さんになったら違和感しかないだろう。

かといって、シナリオ、絵、音楽が限りなく既存のものに近い

別の誰かが作り上げたドラクエは、ドラクエなのだろうか?

たぶん、おいそれとは受け入れがたいものに違いない。

大好きだったドラえもんに対して、未だに新ドラが受けられないのと同じだ。

新ドラに関しては昔の良さが受け継がれてないので仕方ないような気もするが

それこそ好きではないという理由で見てないのだから

本当はいい部分があるかもしれないけど知ることがないというのも原因だろう。

しずかちゃんがエロすぎるのは問題だと思う。

もちろんこれは、ドラクエドラえもんに限った話ではない。

人それぞれ、作品それぞれに意見が別れるのは当然なことだ。

FFは5まで!っていう人もいれば6まで!っていう人もいる。

そもそも7しかやったことないのに7がいい!っていう人もいるだろう。

聖剣は2こそ至高と唱えるものもいれば私のように3大好き人間もいる。

4なんてそもそもなかったことにされる。まあなかったんだけども。

この手の話題が上がった際の落とし所としては

『自分の中ではこうだっていう正解をもっていたらそれでいい』

というところに落ち着くんだろうけど、落ち着かせてくれない場合がある。

なにかといえば、それを否定する面倒な輩が現れたときだ。

私はこうだと思うよ。という言葉に対して、いやそれは違うでしょ。

と反論するTwitterでいうクソリプマンが必ずしも登場するのだ。

どんな世界にもクソリプマンがいるのだから

そりゃ争いも絶えないわけである。

ここもうまく掘り下げられれば、シナリオのネタにできそうな気がするなあ。

きっと人間の意見の押し付け合いも、相当醜い現象のひとつでありながら

人が人として生きていく上で、おそらく一生つきまとうものだろうから。