見ようかどうか悩んでた映画「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を見てきました。
日曜の夜遅くの上映だったので、久々に真ん中の席で見てみることに。
以下感想。
なんというか、期待しすぎていたこともあってか、想像を超えてこなかったというか、ちょっと普通すぎた映画でした。
原作者がオデッセイと同じという知識だけはあったんですが、ちゃんと随所に似たような匂いを感じられて、そこは作者の色が見えて良かったですね。
宇宙が舞台なんですが、この作品がやりたかったことを考えるに、宇宙である必要がそこまでないんじゃないかって印象でした。未知との遭遇を描いて、そこの関係性を描くなら、ずっと言葉による意思疎通ができないまま進めるってことも考えたりしたのかなとか、考えた結果やっぱり難しかったから諦めたのかなとか、それとも言語による会話が成り立つこと前提で考えてたなら、やっぱり宇宙である必要ないよなとか。
あと映画の尺的にカットされてたのかもしれないけど、主人公が地球に帰るか友人を救うかの二択のところで、あまりに地球に対する優位性がなさすぎて、これ二択になってなくない・・・?っていう疑問も。
宇宙船から初めてドアあけて宇宙を覗き込んだシーンと、目標の惑星を眼の前にして主人公だけが感動しているシーンはとてもよかった。あそこは映画館で見れてよかったです。あとキセノンが固体になっていろんな物を形成するっていう設定もよかった。
ロッキーが防護壁から抜け出して助けるシーンをみて人喰いの大鷲トリコを思い出してたんですが、あの手の「弱点を事前に提示」して、そのあとで「弱点もとい危険を顧みず対象を助けるために実行する」っていう流れはもはや様式美なわけですが、今回の映画をみて思ったのは「その弱点の提示」をわざとらしく演出しすぎないのが大事なのかもなって。
たとえばトリコの弱点である目の紋章は、トリコが嫌がることで「苦手なんだな」ってPLが勝手に理解するものであり、今回の映画でいえば、主人公のモノローグで「外に出たらやばいらしい」みたいな軽い説明でさらっと流してたんですよね。たぶん、逆の立場である人間、つまり主人公側で考えると、宇宙服無しではヤバいことが共通認識としてあるがゆえに、サラッと流したとしても、そのヤバさは十分に伝わっていたということなのかもしれませんね。