最近、神話について「とある気づき」を得たのでそのご紹介。
これまでクトゥルフ神話って、ラヴクラフトの作ったただのお話、設定だと思ってたんです。それこそ私もTRPGで遊ぶ際にお世話になっているし、7000円くらいする辞書みたいな本も買うほどには好きなものなんですけど、他人がこれを、他の神話――例えば北欧神話やギリシャ神話なんかと、一緒くたにする姿勢を見るとすごく気持ち悪さを覚えていたんですね。
言葉を選ばずにいうと「いやいや、クトゥルフ神話って、たかだか1900年そこらの超最近に実在した一人の小説家が考えた設定でしょ?なんでそんなフィクションが、天下の北欧神話やギリシャ神話と肩を並べてるの?」っていう感覚です。伝わるでしょうか。
ただこの度、天文学について色々と考え直していたタイミングで、その考え方が変わったというお話です。
結論からいえば、北欧神話もギリシャ神話も、世界にある他のどんな神話だろうと、その時々の時代に生きていた誰か――それこそ私たちと同じ「人」が、その時世の価値観や倫理観をもとに考えたお話であったわけです。よく考えれば当然なんですけどね。
当時の子どもたちに、虹とはなんなのか?あの空に輝くものはいったい何なのか?はたまた世界はどうやってできたのか?そんな疑問をぶつけられた大人は、それに対する回答として、神話を用いた世界設定を考え、それが粛々と受け継がれていったのかもしれません。
そう考えると、クトゥルフ神話も作り方としては同じじゃないかと思うわけですが、それでも未だに気持ち悪さが拭えないのは、わりと現代に近い段階において作られた神話と、マジで何もわかっていなかった頃に本気で信じていた神話とでは、やはりその成り立ちも違うだろうということと、誰が生み出したのかがわかっているのと分からないのとでは、そこに持つ印象って変わるなあっていうこと。
北欧神話は1XXX年の〇〇って人が考えましたって記述が残ってたら、ロマンもくそもなかったのかもしれませんね。起源は、北ゲルマン民族の誰かが考えられたらしい信仰や物語ってところが良いんだと思います。