どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

自信とサービス精神

ゲームの公開って、本来楽しいイベントのはずじゃなかったのか?

えぬさんが帽子世界の公開前に、ちゃんとデバッガー募ってたなあって思い出して、開発ブログを読んでたら、だんだん怖くなってきたナナブルクですこんにちは。あのえぬさんが、こんなにも疲弊している・・・何なんだ、ゲームの公開って、本来楽しいイベントのはずじゃなかったのか?って。

いやもうわかっているはず、時間をかけすぎたものは、それに比例して謎のプレッシャーも肥大化しているということを。

これまで私が作ってきたゲームの開発期間って、最長でもZetimaの6ヶ月ですよ。なんやねん13年て。156ヶ月ですよ。バグってんのか?

すっかり発売延期芸が板についてしまった天下のドラクエ様でもそんなの聞いたことないですよ(DQ11は延期しなかった代わりに完全版商法やってますけど)。

開発を駆け抜けられれば、公開することは「楽しい!嬉しい!ドキドキ!」のお祭りイベントです。しかし、駆け抜けられなかったとき、それはもうお通夜イベントに早変わり。何年もひたすらに公開することを目指しているのに、公開することに怯えてるわけです。ただこれって特定の条件下だとその限りじゃないんですよね。なにかといえば作品への「自信」があるかないかなんですが・・・。

これってサービス精神の有無とも似てる気がするんです

えぬさんはデバッガーを募集したとき、100人以上規模の募集が集まったようなんですが、これって「すげー!」ってなる反面、ほんとに恐ろしいことだなって。そんなにも多くの期待を背負って作り続け、世に送り出すってどんな鋼メンタルしてるんだって思います。忍屋の場合は誰に期待されるわけでもなく、誰かに知られてるわけでもないので、よく考えれば何に怯えてるんだって話な気がしてきました。

あと、先程言った「自信」の有無の話ですが、これってサービス精神の有無とも似てる気がするんですよ。今回の「忍屋」に限って言えば、まるでサービス精神がないんです。多くの開発者は「絶対おもしろいので期待しててください」と公言したり、えぬさんの記事を読んでいても「待たせてしまったぶん、しっかりしたものを届けます」って書いてあるんですよ。

もうね、えらいなあって思っちゃう。むしろそうあるべきなんでしょうけど、私にはその感覚がない。そうあるべきなのはわかってるけど、もともとなんとなくで作り始めてしまい、当時は1,2年で作り終えて公開!みたいな気分だったから、そんな甘い考えで生まれたものを何年も作り続けた結果、メッキだった自信は剥げまくってるわけです。なのでもう開き直ってる状態です。知るか!バグってもバグらないまでリセマラしてくれ!っていう感情になってしまっている。なので、開発に時間かけてもいいことなんてないんですよほんと・・・かかっちゃうんだけども・・・。

そんな忍屋もようやくあと少しのところまできてます。作り始めた頃の解像度がVGAの640*480だったことを考えると、今や世間ではフルHDが最低ラインの上は4K(4096*2160)ですよ。あまりに時代が変わったなあって思います。

今日は、前回のテストプレイで必要だとわかったイベントをまとめて、それに必要な素材を全部作り終えたので、あとは台本を整えたらツクールでイベント実装です。それが済んだら再び通しプレイしながら動画キャプチャしてトレーラー2020動画でも作りますかね。その間に残りもプログラムも進んでくれたら嬉しいなっていう状況です。もう年末か~早いなあ~~~。