どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

ブルク32歳の冬

長門さんへの愛が薄れているのを感じた

伊井野ミコを完成させて、残すところあと1人まで来ました。キャラが多いと連作って大変ですね・・・で、ですね。ここでちょっと私に大きな変化がありまして。

一言で言えば、長門さんへの愛が薄れているのを感じたんですよ。もうね、軽く衝撃だと思うんですけど・・・私もそうだし、私のことを知ってる周りからしても衝撃だと思うレベルには驚いてます。

この感覚を色々な角度から紐解いてみたんですけど、おそらく私は「食わず嫌い」だったんだろうなと。これまで色んなアニメやゲームをして、いいなって思ったものでも深入りしようとはしなかったわけです。ここでいうわかりやすい深入りとして「そのキャラを絵に起こす」っていうのを挙げてみます。好きになっても、私には長門さんがいるし、別に絵に起こすほどではないって勝手に決めつけてしまっていた・・・それがずっと十数年も続いたわけです。

好きだけど深入りしなかったものを、深入りするとどうなるか、そして、意図的に長門さん──もといハルヒから距離を置くとどうなるか、その答えが今ここにあると思ってます。

すごいんですよ、これまで長門さん以外のキャラを描くことをが苦痛に思えることなんてザラだったんですが、ちゃんと好きなものを深く好きになるというだけで、苦痛になっていない自分がいることに気づいたんです。これって至極当たり前の感覚だと思うんですが、これまでそんな思考ロックの状態を自ら作り続けていたので、とても新鮮な気持ちになってます。

今は連作として「かぐや様」を描いてますが、このあと描こうと思ったものを思いつくたびメモしてるんですが、すごい数出てくるんですよ。これ全部終わるまで長門さん封印してたら何ヶ月後かわかんねえなって。たとえばエヴァとか、SHIROBAKOとか、かつてリアタイで見てきて好きだったものなんて腐るほどあるじゃないですか。それらに加えて、最近ハマってるVのなとなとやぺこらも同じように好きなわけですよ。

そんなわけで、ハルヒコンテンツを意図的に封印するのは得策ではないなって。好きなものはちゃんと発信していかないと危ない気がしました。ただ連作中には別のコンテンツは挟まないようにして、合間に挟む分には問題ないなって。結論、これって別に長門さんの愛が薄れたわけではなくて、他のコンテンツにも光があたったということでしょう。そんな、新たな視野が開けた32歳の冬でした。