どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

フォロワー15000人

人間って認めてもらいたいという承認欲求があるくせに、認められすぎるとヒヨっちゃうっていう瞬間があるじゃないですか

これまでおおっぴらに言ってこなかったんですが、最近ひとつ目標がありまして。何かといえば「Twitterのフォロワー15000人」っていうものです。今の3倍です。これだけ聞くと、なんだかすごく有り体な目標な気がするでしょ?

ちょっと話がそれますが、私は何をするにも「自分の中の正解」ってものがあるんですよ。例えば、嫁にプロポーズするときは「こういうシチュエーションであるべき」みたいなのがあったんです。よく世間で聞く、寝起きになんとなくとか、いつもどおりの日常中になんとなく思い立ってとか、そういうのはまず自分の中で許されないことで、自分の中の正解を実行するイメージです。部屋のレイアウトひとつとってもそう。私の部屋には長門さんのフィギュア以外置くのは正解ではない。気に入ったものだけを並べるべき。みたいなそういう正解。それに則さない行動はしたくないっていう感じです。Twitterのフォロワー15000人というのもそのひとつなのかなって気がするってお話です。

誰かのアカウントをみたときに、フォロワーが15000人いれば「強い」って思えるって認識があって、自分もそこにいきたいなっていうのが理由のひとつなんですが、もしそのくらいいれば、何をするにしても、程よく見てもらえるかなーっていう指標でもあります。で、この「程よく」ってのがポイントでして。何を持って程よいのかといえば、それは他でもない自分の評価なんです。

あえて主語を大きく話すと、人間って認めてもらいたいという承認欲求があるくせに、認められすぎるとヒヨっちゃうっていう瞬間があるじゃないですか。それって何かといえば、自己評価の度合いなんですよね。

自分の中での自分の価値があって、それを上回って見られたときに怖くなってしまう。逆をいえばそれ以下だとなんで見てくれないんだ!っていう反応になる。では私の自己評価が15000人なのか?っていうとちょっと違って、私自身の評価は、せいぜい300人くらいのイメージです。ニコ生時代におこぼれで相互になった人たちと酒瓶でバズったときの有象無象を除外すると、ほんとに私という個人を気に入ってフォローしてくれてた人の数がおそらくこのくらいなんです。もっといえば、ほんとに私個人を気にかけてくれてるひとはこのブログの20人くらいです。残りの280人は私ではなく、絵でしょうね。

じゃあ15000人はどっからきたんだ?っていうと、15000人まで増えても「その重圧にギリギリ耐えられるだろう」っていう値です。自己評価は20~300人でも、バズったときのように、勘違いでフォローしてくれた人がたとえ15000人いたとしても、おそらくヒヨらず無視できるレベルだろうっていう人数。

非常にややこいし話です。広い視野で話せば、私の自己評価は20~15000人。最低20人は見てくれている。しかし、15000人が見てくれていても不思議ではないだろうっていう自己評価。過大評価だと思われても不思議ではありませんが、あくまで自己評価ですからね。どこかでインフルエンサーのおかげで見て貰う人が増えたり、何かでバズってまた勘違いした人が増えてもおかしくないし、そういう諸々を含めていったときの上限が15000人だと思ってます。

そういう具体的な目標があったほうが、何をするにしても楽しそうじゃないですか。そんなわけで、Twitterフォロワー数15000人を目指して、あれこれ頑張ってみようと思います。