どこここブログ

10年以上続くナナブルクの人生譚

ボリューム不足感の正体

ゲーム作っていてふと思ったんですが、こんなに時間をかけて作ってるのに、この「どうしようもないボリューム不足感」はいったい何なんだろう・・・っていうお話です。

定期的に感じるんですよ、ボリューム不足感。こんなに何年もかけて作ってるのに、なんでだ!?・・・って。そして、その正体は「慣れ」だと思ってたんですね。

簡単にいえば、どれだけ頑張って作った要素も、はじめは「新鮮」だけどテストプレイを重ねるごとに「当たり前」になってしまうという話です。当たり前になれば「あって当然」な要素になってしまい、ゲームのボリュームとして実感しづらいっていうことです。

でも、今感じているボリューム不足感は、おそらくそれだけじゃない。「慣れ」は「制作者目線」からくるものであって、今感じているのは「プレイヤー目線」からくるものだったんですよ。

では、プレイヤー目線のボリューム不足とはなんぞやって話ですが、すごく単純な話で「ゲーム中に触れられるもの」に尽きます。言い換えればインタラクティブな要素ってことです。ゲームを遊んでクリアした子どもたちが、真っ先に友達と会話をする内容といえばなんだと思いますか?

私が思うに「ロンダルキアむずすぎじゃね?」とか「ナイツオブラウンドとった?」とか「ミクトランイグゼシブ舐めてたわ…」とか「咎人の剣“神を斬獲せし者”やばくね?」とかそういうのだと思うんですよ。

キッズたちはまず遊んだ部分、つまり自ら触れた体験「システム」から入り、あのシーンのここがよかった!といった見せられた体験「ストーリー」は二の次。ましてやそれ以外の部分──例えば○○村の雰囲気がめっちゃ好きだとか、○○城の外壁の質感が好きといった「デザイン的な部分」なんて、はじめからその手の話をしようと思って会話を始めないと議題にすらあがらないことも少なくなさそうです。ただしプレイ中にはしっかりと自ら触れている体験として刻まれはするんですけど、こと誰かと感想を言い合うってなった場合、真っ先に出てくる内容にはなりづらいと思います。

私の感じていたボリューム不足の正体がこれです。いくらマップを頑張って描いたり、演出を凝ってみたり、メニュー画面のレイアウトを微調整したりしたところで、それは議題に上がらない部分を延々と時間かけて作ってるに過ぎないから、いざ1本のゲームとして俯瞰したときに、遊べる部分だけを思い浮かべてしまうから、あれ・・・(こんなに時間かけたわりに)ほとんど遊べるところなくね?って思っちゃうわけです。

だってそうでしょ?自分のゲームを俯瞰して(プレイヤー目線として)みたとき、タイトル画面でゲームSTARTを押してイベントを順にこなしていく様子を思い浮かべるでしょ?そしてゲームのボリュームを測る際に、ダンジョンがいくつあってとか、ボスが何体いてとか、そんなことばかり考えちゃうでしょ?制作者ですらそうなんですよ。ボリュームを測るときに、○○に設置した燭台の炎の揺らめきがいい味だしてるからボリュームに+10点!とか考えないでしょ?つまりはそういうことです。

ゲームとしての作り込みっていう観点で見れば、それらの要素はとても大事なのは言うまでもないんですが、ゲームとしてのボリューム感という観点で見れば、実際そのとおりだと思うんですよ。遊べる部分こそが全て。そう考えると、時間をかけたからといって、その分ボリュームが約束される理由にはなりえないんだなって思ったのでした。

いやあ、ゲームづくりって大変ですね、ほんと。