どこここブログ

10年以上続くナナブルクの人生譚

ゲームを構成する濃度の話

久々にゲーム制作に関する真面目な記事ですが、どうせ連休中はブログ更新しないでしょうし、長いですが許してください。

あるゲームタイトルについて、プレイヤー(以下PL)が数年後に話す思い出って、大抵「○○のボス強かった」とか「最強の武器は○○だった」とか「隠しダンジョンのボス○回倒した」とか、そういう上澄み液みたいな話だと思うんですよ。

そういうの聞くたびに、そりゃそうだよなって思うんです。PLがゲームプレイ中に見ているのは「自分が体験したこと」なんですよね。物語やイベント演出も、体験といえば体験だけど、どちらかといえば「見せられたもの」という感覚のほうが近いです。

しかし、作り手からすると、その部分こそが時間がかかり、大変な部分。だから、ゲームを作ってる最中は「これ面白いのか?」って何度も疑問に思ってしまう。当然ですよね、その時点では面白い体験──もといゲーム体験を作れていないわけですから。

「綺麗だな~」と思ったとしても「面白いな~」とはならない

私が10年以上延々と作っている「忍屋」に例えてみます。忍屋のゲーム体験ってどこ?って言うと「隠れて必殺を決める」だけです。たったそれだけしかゲーム体験がない。あまりにも貧弱に感じます。じゃあ君は10年以上も何を作ってきたの?っていうと、ゲーム体験ではない部分──マップ背景であったり、キャラクターの歩行グラフィックであったり、PLからすれば「見せられたもの」たちなんです。

PLはそれらを見せられて「綺麗だな~」と思ったとしても「面白いな~」とはならない。そんなゲームがゲームとして成り立つのか?って気がしてます。だからこそゲーム体験の部分はちゃんと作らないといけない。わかりやすく言えば、アクションに爽快感があるとか、もっさりしてたら駄目だとか、遊んで気持ちよくないとそもそも及第点ですらないとか、そういう話です。

いくらビジュアル面を頑張って作っても、結局PLが体験し記憶に残る部分っていうのは、自分がボタンを押して起きたアクションだったり、自分で繰り返しプレイしたことだったり・・・そういう体験が大半になってしまう。もちろん、きれいな世界観も、迫力のあるムービーシーンも、ゲーム体験に一役買ってることは言うまでもありませんが、記憶に残るゲーム体験の本質はそこじゃないよねって話です。

それは、ゲーム体験とビジュアル面が、同じくらいの濃度だから

たとえば最近やったラスアス2について、数年後に思い返したら何を思い出すだろうと想像してみると「良いゲームだった!」のあとに「でもしんどかった、とにかく道中しんどかった」っていう感想がきそうなんです。それって自分がプレイングした部分ですよね。マップの廃墟の描き方がすごかったとか、イベントシーンの鬼気迫る演出がすごかったとかは二の次でしょう。

では、Ghost of Tsushimaはどうでしょうか。個人的な感覚では、ラスアス2よりはビジュアルについて触れられそうなんですよ。紅葉が綺麗、景色が美しいって感想が一番に来てもおかしくないって話です。それは、ゲーム体験とビジュアル面が、同じくらいの濃度だからではないかと思うんですね。

ラスアス2のビジュアルなんて業界最高峰ですけど、その濃度を上回るストーリーや道中のアクションパートのしんどさがあるために、同じレベルでは語られなさそうなんです。逆にGhost of Tsushimaは難易度がさほど高くなく、比較的マイルドに抑えられているので○○が強かったとか、道中のあそこのエリアが超絶苦労したといった感想は、あまり見受けられなさそうです(これがもし、コトゥンハーンの強さが剣聖芦名一心並だったら話は変わってたでしょうけど)。

ここまでの話を要約すると、ゲームを構成する様々な要素の濃度に差異があると、記憶の残り方に偏りが生じるということでしょうか。

試しに昔のゲームを代表して、SFC版のDQ5を思い返してみます。今でもよく耳にする感想は、花嫁は誰を選んだか、エスタークを何ターンで倒したか、仲間モンスターは誰を仲間にしたか、キラパンの名前は何にしたか、カジノでメタルキングの剣取った・・・といった話題ですかね。次点でパパス強いとか、ぬわーとか、ゲマの話とか。

最初に挙げた例は、PL各々が持つ独自の体験なのに対して、次点に挙げた2つは、PLが皆共通した体験、つまり「見せられた体験」です。ビジュアル面も当時としてはすごかったですが、それを上回る濃度のシナリオとゲーム体験がDQ5にはあったように思います。なのでDQ5の思い出で真っ先にビジュアル面の話をする人は多くはないでしょう。

これが聖剣伝説3になると、あの暖かさのあるドット絵とBGMが最高だった!あの世界を歩いてるだけで楽しかった!といった思い出が先にくる人はいそうです。私自身、あまりゲーム自体を周回してなかったからだとは思いますが、ゲーム体験という意味でいえば「ブラックラビが強かった」とか「○○の闇クラスが強かった」とかそういう話が真っ先にくるんでしょうけど、それと同じ濃度の思い出として、ビジュアル面があがってくるんですよね。

ある人が「ラスボスがあれだけ強くなければ、このゲームはそんなに印象には残らなかったと思う」と言っているのを聞いたことがあります。印象に残すためには、濃度を増す必要がある。難易度をあげると、そのボスの印象は必然的に増します。

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皆、口を揃えてDQ5ブオーンは強かったというでしょうし、聖剣3のドランは強かったと言うでしょう(よく見たらこの二人似てるな…)。一発クリアすればその瞬間は嬉しいでしょうが記憶には残りにくいです(逆にTOSのミトスみたいに雑魚すぎても印象には残るようですが)。

どれが正解という話ではなく、自分がどういうゲームを目指しているか?という話

話がとっちらかってしまいましたが、ゲームは、自分が操作している以上「ゲーム体験」が記憶に残りやすいけど、濃度によってそれらは変動するってことですかね。ゲーム体験は、ただそれだけで記憶に残りやすいですが、濃度が薄ければその限りではなく、逆に濃すぎると相対的にゲーム体験以外の部分(ビジュアル面など)を薄めてしまうのかもしれません。

これは、どれが正解という話ではなく、自分がどういうゲームを目指しているか?という話に帰結しそうです。ゲーム全体を満遍なく見てもらいたいときは、ゲーム体験の濃度はほどほどにして、ビジュアルに力を入れる。ゲーム体験に重きを置きたい場合はゲーム体験の濃度を増し増しにしてビジュアルはほどほどでいい。ビジュアルを増し増しにしてゲーム体験を蔑ろにすると聖剣伝説4になる・・・といった具合でしょうか。

これらのバランスも狙って作れれば良いんですけど、それもこれも完成させて体験して初めて分かることだから、ゲーム制作って難しいんですよねえ・・・。