スト5RAGEの第5節みながら、ハロウィン長門さんを描いてました。
3人くらい描くか!って思い立ったときは元気なんだけど
実際に描いてると、し・・・しんどい・・・って後悔するよね。
そうそう「好きなものに嘘をつかない」みたいな話ってブログでしたかしら・・・どうだったかな。こないだDiscordで数年後しに通話をした人に話したのは覚えてるけど、ブログに書いたかどうかを覚えてないので書いておこうと思います。もし被ったらごめんなさい。
私はこれまで長門本を何冊か作ってきましたが、それがイベントで売れたとして「嬉しい!」って思ったことがなかったんですね。誤解を恐れずに言うと、表向きは「ありがとうございます!嬉しいです!」って言ってるんだけど、世間の人たちが言ってるような感動ってなかったなあって思うわけです。
よく即売会に出て感動した話みたいなのを見かけるんですが、自分の性癖が他の人にも伝わって、こんなにうれしいことはない!みたいなこを書いてあるのを見ると、本当にこの人は嬉しいんだろうなって思うし、実際それが本来の二次創作、即売会の醍醐味なんだろうなって思うわけです。なのに自分はその感覚を味わったことがない。
頑張って作って参加しておしまいっていう、その間に「喜び」が欠如してたんです。
薄々感じてはいたものの、本格的に「いったいなぜ?」と疑問に思ったのがわりと最近。
考えられる理由はいくつかあります。
・ニコ生をやっていたせいで、なまじ初参加時から売れてしまったから
・しょせんは自分の作品ではないから
事前に草の根活動で知名度を少しはあげてコミケに参加したもんだから、みんな会いに来てくれた。でもそれは私に会いに来てくれただけで本がどうとかではないよね?
しょせんは二次創作、自分が生み出したものが好きで買ってくれるわけではなく、版権が強いだけだよね。実際その通りだろうし。だから喜びを得るためには、ハルヒオンリーを最後に、一次創作で頑張るしかない!って思ったわけなんですけど・・・。
でもね、実際はそうじゃなかったってことに気づいたってのが今回のお話なんです。
喜びが欠如していた本当の理由は「自分が好きなものを認めてあげられていなかった」から。
そういう意味だと、上であげた理由は関係してきます。これまた誤解を恐れず言うと、きっと心のどこかで「前回は売れたんだから今回も売れて当然」だとか「しょせんは二次創作、自分の作品じゃないから自分の力ではない、だから価値がない」的なことを思ってしまっていたんだろうなって。
でも、それって言い訳なんですよね。
冷静に考えれば、誰かが買ってくれるってことは、それだけで認めてくれてる証拠じゃないですか。でも、自分が好きなものを認めてあげられてない状態で周りが認めてくれても、別に・・・?ってなってしまう。
私は長門さんが好き。
他のいかなる作品がこの世に生まれでてもブレないし、自分が結婚しても寸分の狂いなく好きなんだから未来永劫好きでしょう。そのことを認めてあげなくてどうするんだって話です。私は好きなものを作る。すぐには難しいだろうけど、これからは「どうだ、自分の長門さんはかわいいだろう!」って気持ちをもって、接していきたいなって思った次第です。
私はゲーム制作が好き。そして長門さんも好き。
だからどっちも好きなように楽しむ。
どちらか片方じゃないと駄目なんてことはない。
長門さんが100人に見てもらえて、忍屋が10人にしか見てもらえなかったとしても、どちらも私が好きなこと。だからどちらも等しく尊いのだと、そんなことに気づけた31歳でした。