どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

超絶ドラクエ大好きな私が映画ユア・ストーリーをみて虚無になった話

昨日はドラクエ映画の「映画ではない部分」について書きました。

今回は「映画そのものについて」一応書いておこうと思います。

 

私がもし公開初日に見に行ってたら、間違いなく万人と一緒になってキレてたでしょうね。冷静な判断を欠いてるでしょうから。あくまで私は、クソ映画と知った上で冷静に見れていたので、そこまで酷評するわけでもありません。そしてなにより、昨日も書いたとおり、私は「あのDQXを7年もやってる」んですよ。

 

これが何を意味するかわかりますか?

 

そう。映画と同レベルのクソゲーを7年も味わい続けているんです。この映画と同レベルとは一体なにを指すのか。それは昨日も書いたとおり「こんなのドラクエじゃない!」という、自分の中にあるドラクエとかけ離れたドラクエタイトルという意味です。そりゃあもうひどいですよDQXは。過去作が汚染されすぎててやばいです。兄とよく話すんですが、DQXでアプデが入るたびに過去曲が使われ「今回はDQ○が汚染されたよ」っていうんです。すぎやんが新たに楽曲を作る元気がないので、毎回アプデのたびに過去作の名曲たちがクソゲーに使われるわけです。この辛さがわかるでしょうか。過去のいろんな思い出たちが、クソゲーによって上書きされていくんです。考えただけで恐ろしいでしょう。でもそれをナンバリングだというだけで7年続けてるわけです。そんな苦行に耐えている私だからこそ、今回の映画で過去の曲が使われていても、そこにあるのは無でした。むしろマシとすら思ったレベルです。なぜかって?それはDQXで使われる過去曲の使われ方が超絶下手くそだから。使うだけでも相当に業が深いのに、その使い方が雑すぎてやばいんです。だから映画での使われ方のほうが数段マシだと思ってしまった。そんなレベルなんです。当然映画に使われていた曲はすべて理解してました。最初は天空シリーズで統一してるのかと思ったらDQ7や9の曲が平気で流れてきて驚きましたね。特にDQXだと絶対やらないであろうラスボス戦も平気でぶっこんできたのも驚きでした。まさかオルゴ・デミーラ戦やエルギオス戦がここで聞けるとは思ってませんでしたし。DQ10からも一曲、DQ11からも勇者の凱旋が使われていましたね。映画レビューで過去作が汚された!なんて話を聞きましたが、その人らはDQXを知らないのでしょう。知らないならその反応が正常です。むしろ私が異常になってしまっているだけです。

 

ドラクエの曲に関しては難しい問題だと思いますが、私と兄の間でもう答えが出ているんです。

 

すぎやんはもう高齢。でもドラクエはすぎやんじゃないと駄目だというのもわかる。でも過去の使い回しは駄目。となると残る答えはひとつしかないんです。それは新ナンバリングのモチーフやメインテーマをすぎやんが作り、それをベースにすぎやんの弟子とされる松前真奈美さんや他の方が全曲を作るというもの。これだと誰も文句なんて言わないでしょう。しらんけど。少なくとも私はこれが良い落とし所だと思います。

 

松前さんの作ったドラクエソードの「旅立ちのとき」とか超絶かっこいいですよ?

 

 

 

モチーフというのは音楽用語で「独立した楽想を持った最小単位の休符の特徴的な連なり」のことです。ドラクエは1の頃からずっとモチーフがあります。わかりやすいところで言えば、DQ5や6の「悪のモチーフ」でしょうか。これがその他の楽曲の随所に形を変えて散りばめられているので、曲を聞いただけで「あ~DQ6の空気がする~~」となるわけです。

 

参考にDQ6の「悪のモチーフ」がこれ。

 

 

で、それをもとにわかりやすく作られているのが、ムドーの城ラスボス戦通常戦闘もそうですね。こんな具合のモチーフをすぎやんに作ってもらえれば良いと思うんです。メインテーマというのは、DQ8でいえば「広い世界へDQ9でいえば「天の祈り」とか、そのタイトルを代表する曲のことです。DQ11だと「愛のこもれび」でしょうか。今聞いても泣ける。

 

だいぶ話がそれてますけど、楽曲についてはこんなところです。ただしこんな映画に過去曲を使うのも許せないのもわかるし、新たに曲を書き下ろすのも嫌なのもごもっともなので、ことこの映画についての解決策はありません。

 

なにもこれは曲に限った話ではなくて、テキストやイラストひとつとってもそうなんです。堀井雄二のテキストを表現できる他の人がいるのか、鳥山明のセンスを真似できる人間がいるのか。まあいませんよね。いないならいないなりに何か策を練らないと未来はないわけです。

 

DQXのイラストなんて素人が見てもひどい出来です。鳥山明に似せる気があるのかもわからないし作画レベルも相当にひどい。DQライバルズとか他の部署の人は確実にうまいのでその人にお願いしようよって毎回思います。堀井テキストを表すのは至難の業なので、せめてもっと勉強してくれって思いますけど7年経ってもこれならもう無理だと思います。

 

おやおや、おかしいですね。映画の批評のはずなのにDQX批評になってますね。でもおかしくはない。なぜならドラクエを汚しているものという同じ冠をかぶっているのだから。

 

でもね。こんなものでもちゃんと褒めるべきところはあるんです。DQXはいつも書いているとおりなので省略しますが、映画ドラクエでよかったところは2つ。天空の剣のギミックがかっこよかったことと、パパスのつるぎを最後まで使っていたところ。後者はおそらくただの偶然の産物でしょう。監督が未プレイらしいから。前者は素直にかっこいいやんって思えた。あとは全部クソです。

 

最初ね。映画を見る前に、周りの感想が「無」だったと表現していたんです。まあなんかの冗談だろうって思ってたんです。でも見てる最中にわかった。これは「つまらない」ではない。「無」であると。

 

表現するならば、ずっとよくわかんないCMを見てる感じ。断片的な映像を見せられて、でも自分の知っているドラクエじゃないので思い出も呼び起こされず、ただそこにあるのは何かよくわからない細切れの映像をずっと見せられている状況。なるほど、ここまで感情が動かないことってあるんだな。そう思いました。だから無なんです。昨日書いたとおり、残り15分はちゃんと(別の意味で)感動していたので(映画とは関係ないところで)感情は動いてました。

 

以上が私の映画もといドラクエの面汚しレビューです。

ありがとうございました。

 

Web拍手レス

観てるものが違うんですね 色々と考えてしまいますね(´ω`)

 

ですね~。子供の頃から付き合いのあるものって、そのときの固定観念がガチガチに固まっているので、大人なら当たり前に気づきそうなことでも気づかないことってよくあるんですよね。今回のこれもそうだったので、本当に衝撃でした。