どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

京アニ事件

これまで京アニの放火事件についていっさい触れてきませんでしたが、本日はそのお話です。

 

私が触れない理由は単純で、未だに現実味がないから。たぶん面と向かって向き合いたくないんですよね。感覚的にはドラマの中でキャラクターが死んで、でもその役者は普通に生きてるでしょ?・・・みたいな感覚。そのくらいまだ現実味がないし、信じようとしていません。

 

例のオンリーに出た人々のTLが流れてくると、こぞって感情に身を任せて怒りや悲しみを吐露しているわけですが、そんな純粋に真っ向から向き合える勇気がないんですよね。だから未だにふわふわしてる。そんな中でも今回記事にしようと思ったのは、私の一番好きだったアニメーターさんの「西屋太志」さんも亡くなったと知ったからでした。これもWEBのニュースでそういった文字列を見ただけで本当かどうか知りませんけど、そっか・・・そうだよね。っていう気の抜けた感情しか湧いてこない。なんて薄情なんだろうと思うんですが、これが現状です。

 

実は私と似たような人が他にもいまして。私以上に長門さんが大好きそうで、かつ一方的に尊敬してる方がいるんですけど、その人も今回の事件については何も言ってないんですよね。触れないこと以外はすべていつもどおりの発言だし、何も変わらない日常が流れているんです。その人のTLを見てると、何も起きてないように見える。もしかしたら、この人も似たような感覚なのかなって勝手に思ってます。

 

そんなわけで、別段犯人に殺意を覚えるわけでもなく、怒りが湧くわけでもない。そんな状態が続いてます。毎日ニュースで色んな追加情報が流れたり、他の人から京アニがどうとか話を振られても、すごく他人事な感じで応対してます。

 

なんだろう、誰かが亡くなったことに対して、このまま私の中の現実から遠ざけて、その人の本来の寿命がくるまで放置して、大往生だったんだねっていうことにしたいのかもしれない。そんなレベルで傍観してます。なんだろうなこの感じ・・・。着飾らない素直な感情がこれなもんだから、募金とか花束とかご冥福をどうとか、まったく場違い感があるんですよね・・・いやあ、ひどく薄情なのはわかってるんですけど、なんだかなあ・・・。