どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

楽しくないのには「理由」がある

お気づきの方もいるとおもいますが。

わたくしここ数週間、まったく制作への意欲がありません。

すごいよね、もうなんか悟りの境地に陥ってる。

 

あれ・・・なんでこんなにやる気が起きないんだろう。

いや、なんでこんなにやりたくないんだろう。

 

・・・やりたくない?

そう、やりたくないんだよ!

なんでやりたくないことを無理にする必要があるんだ?

 

とかそんなこと思ってました。ドラクエしながら。

 

端的にいえば、楽しくないんです。

そりゃ別の楽しいほうへ逃げますよね。

至極当然の選択といえます。

 

楽しいことをしていたい。

ましてや仕事でもなんでもなく趣味ですよ?

楽しくなくてどうするんだって話です。

 

じゃあ、私にとって「楽しいゲーム制作」ってなにかといえば「自分の思い通りに動いた時」だっていうのは以前から言ってるんですけど、そうなんですよ。つまり今はそれがないんです。

 

ろあ君が新しいプログラムで作ってくれるたびに「思い通りに動いてる!」っていう感覚にはなるんですが、私が作業しても、その内容が「直結するわけではない」からやる気がでないんです。前のプログラマさんのときでいえば、たとえば「多重スクロール」のスクリプトを組んでもらっていれば、あとはこっちが頑張ってマップを描けばすぐに多重スクロールしたんです。これはすなわち「思い通りに動くこと」に直結しているわけです。逆に言えば「多重スクロール」ができていない段階でのマップ制作は、それはもう苦痛の連続だったと記憶しています。だって作れど作れど、それが動くことはないんですよ?生殺しもいいところです。

 

なので、すでにろあ君が敵の行動パターンを作ってくれてるわけで、今で言えば「敵を配置したり」「敵同士を並べて会話させたり」といった作業は楽しいはずです。

 

(ただ実際は、その工程は一番最後なので、それ以外の部分が完成していないと実作業に移れません。問題はそこではなくて、私の中でその道筋が見えなくなってしまっていたことが問題なんです。途方もない時間制作をしていると「あれ?なんでこんなことしてるんだっけ?」という感覚になることがあります。制作間隔が、開けば開くほどそういう事態に陥りやすく、すぐ「別の楽しいこと」へ逃げやすくなるんです)

 

さて。話を戻しますが、この私にとっての楽しさである「思い通りに動く」というゴールまでの過程が長ければ長いほど、どんどん楽しさは失われて、結果「やる気が起きるわけがない状況」になるわけです。

 

マップ描く→思い通りに動く=やる気が出る

マップ描く→Aが必要→Bも必要→Cも必要→思い通り動く=やる気が出ない

 

Twitterで完成前の絵をアップするのと同じです。みんなすぐ成果がほしいんです。落書きだと称してアップしてちやほやされたいんです。ゲームなんか年単位で全然できないから同人誌を数週間で仕上げてちやほやされたいんです。つまりはそれと同じ思考だったんですね。

 

ゲームで遊ぶ方だって同じです。

 

DQXはすぐ起動して遊べるしスト5だってSteamだからすぐに遊べてすぐ楽しいからやってるんです。スーファミは電源つけた瞬間に起動するからすぐ楽しめるけど、PS4とか電源落としてたら、どんだけ時間かかるんだよってくらい時間かかって面倒くさいので別にいっかってなりますよね。それと同じ。

 

なるほどね、すごい納得がいった。

 

コンシューマ時代のツクールが楽しくてしょうがなかったのは「作る→思い通りに動く」がダイレクトに実現できていたからです。じゃあ今でもコンシューマすればいいじゃん?っていうとそうではなくて「思い通りに動く」の「思い通り」部分が昔と変わってきているんです。なんども話してきたように「思い通り」部分が「自分で作った素材」っていう水準になっているわけですね。

 

なるほどなあ、なんだかかなりスッキリしました。

 

この「理由もわからず、ただ闇雲に作らなきゃいけない、それが義務だから」みたいな感覚がよくなかったと思うし「なんでここまで楽しくないのに作業しなくちゃいけないの?」っていう疑問も解消されました。

 

解消されたことで肩の荷が下りた感じがあるし、楽しくない理由がわかったことで、自分を攻めることはないんだって思えたことが相当にでかいと思います。

 

「楽しいはずなのに!」

「自分はゲーム制作が好きなはずなのに!」

「昔はあんなに楽しかったのに!」

「なぜここまで苦しく楽しくないのか!」

「よくいう苦しいけど楽しいとは180度違う感覚…」

「もしかして、もうゲーム制作を嫌いになったんじゃ?」

 

・・・そんな悩みが全部ふっとんだ気分です。

自分の考えをちゃんと認めてあげることが大切だったんですね。

 

「面白くない、楽しくない。けど自分はゲーム制作が好きなんだから、そんなはずはない!苦しいけど、楽しいことには苦しさ伴うのは当然だ!」

 

そういう考えが良くなかったんです。

 

ちゃんと認めましょう。

楽しくないと脳が感じたら、それは楽しくないんです。

 

そしてその考えには、ちゃんと理由がある。

その理由を紐解いていくと、ちゃんと好きだったときの感情とか、なんで楽しくないと感じるのかが見えてくるはずです。

 

いやあ、闇雲に動くんじゃなくて、ちゃんと考えるって大事ですね。

自分を守るためにも、大事なことだと思います。