どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

続々々・作品愛とは

あれから色々考えて、またひとつ気づきがあったのでご報告。

私はずっと、今回のゲーム制作を『楽しくないもの』だと思っていた。

しかし、それこそが間違った感覚ではないだろうか?

・・・という切り口から、今回の議題に入ろうと思う。

まず、自分の中で『楽しいゲーム制作』というのは

いったい何を指しているか見つめ直す必要がある。

私にとっての『楽しいゲーム制作』というのは

他でもない過去のCSツクールで経験した制作体験のことを指していた。

そのときの記憶こそが私にとっての『楽しいゲーム制作』なのだから

それ未満の制作なんて、ぶっちゃけ楽しいわけがないのだ。

しかし!

よく考え見れば、そんな楽しくないことを、普通10年も続けられるのか?

ちょっと話が逸れるが、人生における

『時間の貴重レベル』というものを考えてみよう。

ここではあえて価値とはいわず、貴重と言いたい。

たとえば。

MMOで遊んでいて、ソロでレベル上げをしているときの時間。

これを貴重Lv1だとする。

嫁が話しかけてこようが、郵便が来ようが余裕で対応できる時間だ。

同じMMOでも、誰かと一緒にボスと戦っているとき。

ずばり手が離せない、何者にも邪魔されたくない時間。

こんな時に郵便がこようものなら超困るから、貴重Lv3。

絶対リアルタイムで見たい、絶対見逃したくないDQ11の発表会はLv5。

といった具合。

うん、わかりづらいね。

話を戻すと『楽しい時間』はいくらでも続けられるけど

『苦痛の時間』となると、できるだけやりたくないのが人間の性だ。

しかし、苦痛の程度と、それをやる貴重時間レベルに応じて

人はやったりやらなかったりする。

たとえば。

たいして好きでもない仕事は苦痛で

平凡ないつもの勤務時間という時間の貴重Lvは低い。

そこに、これをやらねば飯が食えないという要因が加わり

苦痛でも仕事をやらざるを得ない状況となっている。

極端な例でいうと、自分の余命があと10分の場合

仕事なんてやってられるか?と言われればやらないだろう。

それは苦痛なことを余命10分という貴重な時間にやるわけがないからだ。

この観点から見れば、私にとって

仕事終わりの帰宅してからの自由な時間というのは

人生においてとても、結構貴重な部類の時間なわけだ。

そんな貴重Lvの高い時間に、わざわざ苦痛な作業をするだろうか?

・・・と、ここに話が戻ってくるのである。

つまり、私の『楽しいゲーム制作』というものにも実はレベルが存在して

私の今まで思っていた過去の制作体験が『楽しいゲーム制作Lv5』だとすれば

面白くもなんともないと思っていた今のゲーム制作は

実は『楽しいゲーム制作Lv1』だったということではないだろうか。

一度おいしい蜜を味わっていたがために、それじゃない!ヤダヤダ!と

駄々をこねていたのではないだろうか。

以前書いた、続くもの続かないものという記事で私はこう言っている。

『続けられないのは苦痛だからであり、続けられるのは別に苦痛じゃないから』

そう、10年も貴重な時間を割いてまで続いているこの作業が

苦痛なわけがないんじゃないか?

どれだけ毎日DQXに逃げたくても

どれだけ毎日うまく素材が作れなくても

どれだけ毎日プレッシャーが積み重なろうとも

それはきっと楽しい時間なのだ。

きっとLv5の楽しさを追い求めるあまり

毎日Lv1の楽しさばかりを食わされて、うんざりしていたのだろう。

うーーーーん。

なんともオカルトじみた話になってきた。

もはや洗脳に近い気さえする。

しかしそうとでも思わないと、辻褄が合わない。

でないと、私がただのドMだということになってしまう。

果たして、真実はいずこに。

Web拍手レス

あ、あれ、なんか違う意味合いで伝わってしまった気がする。変な書き方で混乱させて申し訳ないです。

昨日のコメントは、自分は自信のなさゆえに虚勢という嘘に走ってしまうので、そこで嘘をつかずに向き合えるナナさんはすごいしそれを間違ってると思わないでほしいって言いたかったんです。

楽しんでいないのに楽しいと言って、好きでもないものを好きだと言って、疲れきって何もかもが嫌になってしまった経験があるので……

不安や悩みを表に出すことを良くないことだとしてしまうのは悲しいことだと思います。私はあの記事で、作品に自信がないという同じ不安を抱えているんだとわかって元気付けられました。ネガティブでしか救われない人はきっと他にもたくさんいると思います。

それがポジティブでなければならないという虚勢で歪んでいく姿はできれば見たくないなと思います。もっとも、ナナさんなら歪みにすら向き合って自分の力にしてしまうから大丈夫だと思いますが。

長文になってすみません。

実は昨日の記事は、一昨日の記事を書いた5分後に書いた内容なので

拍手の内容からああなったわけではありませんのでご安心ください。

とはいえ、拍手の内容を勘違いして解釈していたのは事実です。

それを踏まえた上で色々考えたのが今日の記事です。

ネガティブでしか救われないという考えは私の中にないものでした。

ただなんとかして、今の自分の実情を分析してみたいと思ってました。

ずっと当たり前だと思ってたことを疑ってみて、色々発見がありました。

そうして新たな考えを探し続ければ、いつかほんとの意味で

ポジティブになれるんじゃないかなとか思ってました。

今のこの感情が、仰るようにポジティブにならなければという

虚勢からくるものなのか、正直悩みすぎて自分でもわかりませんけど

こうしてわざわざ心配してくださる人がいたり

同じ不安や悩みを抱えてる人の存在を知れるだけで、とても嬉しいです。

元気づけられたというあの記事も、またネガティブやってしまったと思って

消そうかと思ってたくらいですけど、ある種需要もあることがわかったので

これからも不安や悩みはじゃんじゃん表に出していこうとは思います。

それと同じくらい、ほんとに楽しいことも表にだせるといいんですけどね。