どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

固定概念のものさし

今日も今日とて嫁のFF15を眺めながら作業してました。

可愛い女の子と王子がデートしてるところで

「お、俺の好きそうな年頃で好きそうな格好した子おるやん」

って言ったら、どうやらイリスだという。

事前にアニメを見ておいたので、昔を思い出すね~とか

そういう演出なんだろうなーって思ったらまさにその通りでした。

アニメにしろ映画にしろ、これもスタッフにとって

苦肉の策だったんじゃないかと思えてくる。

本当はゲームに全部落とし込みたいのは山々だったけど

あまりに制作期間がかかりすぎるとか

進む度に回想入ってたら鬱陶しいだろうとか。

とはいえさすがに映画の部分はないと置いてけぼり感がすごそうなので

ここが一番スタッフも苦しんだ部分なんじゃないかと思ってました。

映画部分は本編に入れるべきだよね、わかってる、わかってるんだよ!

でも単純にマンパワーが足りないんだよ!

おまけにもう会社が映画作るって決めちゃったし、後には引けないんだよ!

シナリオばっさり変えてヒロイン変えただけでもおかしくなりそうなのに!

とかそういう葛藤がありそうだなあって。

長い期間作ってると、よくないって分かってても

後戻りできない、どうしようもない部分がどんどん増えてくる。

それでも、真っ向からそれらと向き合っていかないと完成はしない。

とても他人事じゃないので、市販のゲームを見ても

批判的な言葉ってほんとかけづらくなってしまったように思う。

人は得てして、視覚から入ってきた情報でしか物事を言いづらい。

そこから細分化して、ちゃんとアウトプットできる人間がどれだけいるだろう。

簡単に世に発信できてしまう今、上澄み液みたいな意見が飛び交い

そんな状況下で真っ当な議論などできるはずもない。

FF15も初めて情報が出てきて、世間ではホストだと騒がれたのも記憶に新しいし

昔の私も、それに混ざって便乗していたのを覚えている。

未だにプレイしてない人からすればホストから進歩していない状況だ。

それも視覚からの情報ですべてを判断しようとしているがゆえの事だろう。

なぜか。

きっと多くの人の中には、自分だけの正解を無意識に持ってしまっている。

イケメン主人公に加え自分の好みのヒロインがいれば

「お、いいじゃん(わるくないじゃん)」と判断しまうだろう。

それはいいのではなく、自分の正解の範囲内に収まっているというだけだ。

実際、中身がどんなゲームかはわかりもしないのに、自分の中にある

固定概念みたいなものさしでしか物事を測れないとはこのことだろう。

私の中にもいつからかそんなものさしが存在している。

主人公が青年で、ヒロインはセミロングの可愛い女の子。

主人公の友人ポジに、ちっこい女の子か明るい女の子。

あとPTの保護者ポジの良い感じのオヤジキャラ。

そんなどこにでもある普通のキャラ設定に憧れているのだ。

そういった固定概念を取っ払って独自の世界観を作ってしまうのがプロの仕事。

今回のFF15にいたっては、イケメン集団というのがかなりウェイトが大きい。

イケメンだけど中身はちゃんと男の子してて

でもイケメンだから、何をやらせてもカッコよければよりかっこよく

ギャグになってしまっても、よりシュールな演出になって返ってくる。

真似事ばかりで生きてきた私なんかからすると、考えもつかない領域だ。

そんな嫁さんのFF15もチャプター3。

聞くに10いくつあるらしいので、年内に余裕で終わりそうにないけど

本人が楽しんでいるようだし、時折見てるこっちも楽しんでるので

じっくりと味わってもらいたいものだ。