どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

補欠素材

以前、えぬさんと制作談義という記事を書いた。

この時の私が言っているのは

「凝った演出をしたい場合、開発初期でやっておくほうがいい」

ということ。

これは、ゲームとしては必要ない素材なんだけど

あれば世界観にグッと深みを増す素材の話だ。

仮にこれを「補欠素材」と名付けておこう。

開発初期は全体のボリュームが見えてないので

こんなゲーム作りたい!っていう謎のモチベだけで

補欠素材をいくらでも作れる元気で溢れかえっている。

RPGツクールを初めて触った人が、とりあえず最強の武器を作って

その後マップ制作になるとエターナルの海を前にして投げる様に似ている。

これが制作が進むに連れて、ゲーム全体の物量が見えてくると

いるかどうか分からない素材?

いるかどうか分からない素材なら、いらねえだろ!

っていう状況に変わっていく。

どちらの意見も至極当然なのだが、補欠素材は

世界観を深めるために不可欠な存在であることは確かだ。

本日もまた、補欠素材を作ってしまっていた。

<どうも、補欠カラスです

この別にいてもいなくてもどっちでもいいカラスたちだ。

あれ?

補欠素材を作りたくなるのは開発初期だけじゃなかったの?

そう、本日の本題はこれだ。

どうやら、その補欠素材を作りたくなる条件が

開発初期に限らないことが判明したのだ。

何かといえば、セルフ・ハンディキャッピングである。

え?なにその呪文?と思った方。

実はこれ、あの有名な

「テスト期間中に掃除したくなる現象」のことをこう呼ぶらしい。

はてなキーワードから引用するとこうだ。

心理学用語。物事に取り組む際、わざと自分に不利になる要素を与え

本来の成果を発揮させないようにする事。

失敗した時の言い訳として用いる。

・・・っく、耳が痛い!

しかしその通りなので反論もできない!

そう、つまりゲーム完成間際であるにも関わらず

補欠素材を作ってしまうという行為は、自分が不利になる要素であり

次にやらなければならないラスダン制作であったり

超面倒なホコグラを作ることから逃げている現象だったのだ。

ちなみにここでいう失敗というのは、その日のノルマのことを指している。

例えば今日のノルマが5だとして、現在のノルマが3だったとする。

ここで面倒なホコグラを作ったら4,5と進むのに対して

私が今回カラスを描いたことで何が起きたかと言えば

3という数字が「MSゴシック」から「Century Gothic」に変わった感じだ。

実質進んではいないが、オシャレになりましたっていう。

逆にわかりづらいな。しかしそういうことだ。

みんなだって仕事中にやたらゲーム作りたくなったり

Twitterのタイムライン追いかけたくなったりするだろう。

そういうことだ。

しかし、言わずもがな、この現象をあてにしてはいけない。

なぜならこれは、前進的なモチベから生まれるものではなく

ただの逃げの行為の一環にすぎないからだ。

でもいいんだ。

逃げだろうがなんだろうが、ゲームに深みが持たせられた。

ただそれだけで、いいじゃないか。

みんな8回くらい逃げまくって、会心連発しようぜ!

Web拍手レス

フウキ委員!解☆錠せよ^^

辛い、寒い、心苦しい…なんで俺、こんなんやってんだろうって10分毎に思ってしまう、バージョン2はメッチャ面白かったのに…どうしてこうなった

派生作品はビルダーズがホント凄く完成度高いと思うよ!!オススメ!

バージョン2面白かったよね~。

なんで3で五大陸方式に戻っちゃったんだろうねえ~。

派生作品はもうやる元気がなくなってしまってなんとも・・・。

外伝はドラクエの世界で別のシステムのゲームをっていうのが多い気がしますね

魔物の仲間にプレミアを感じていた自分はモンスターズで魔物をたくさん使えて満足でした。魔物の豊富さはドラクエの魅力の一つですよね。そこを活かした作品だと思います

アスフェルドは完全に別ゲーですよね…良いところもあるって擁護する人もいるかもですが、ドラクエでやる意味は無いでしょう

キャラ絵だけでなく服のデザインなんかも妙にリアルといいますか…それこそギャルゲっぽいんです

会話も不満足ですね。マリベルにあたしが死んだら〜って言われた時はグッとくるものがあったのに私がタイプなんて〜とか言われてイラっとくるのはなんなんでしょう。先日の百合の見せ方で言うところの嘘くさくなってるってことでしょうか

別のシステム、たしかにそうですね。

派生でやった初代DQMも剣神もDQソードも本当に楽しかったです。

嫁さんのやってたヒーローズは面白そうじゃなかったけど。

主人公がべらべら喋るから見せられてる感がつよかったのかな。

べらべら喋るのも好きだけどDQにそれを求めてなかったのかも。

学園もそうですよね、あれが同人ゲームですって言われたら納得しそうだし

ユーザーからするとやる意味がないし、公式でやってほしくなかった。

マリベルの台詞含め、堀井さんが書いてるかどうかはたぶん重要じゃなくて

堀井さんの作ってきたDQとして違和感がなければいいんだと思うんです。

DQ4の頃からシナリオアシスタントはいるわけだし

あの町のモブの台詞は誰が書いたとか、知るすべはありませんしね。

世界観をそのまま踏襲してても、DQ9のサブクエストの数々は

テキスト内容がひどすぎて目も当てられませんでしたし

おそらく世界観を壊していることが問題なのではなくて

堀井節のDQを踏襲できていないことが

世界観を壊している要因なのかなと思いました。