どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

60億の翼

先日、善と悪の話をした。

そこで気づいたのは、善行か悪行かを決めるのは

関与した人(被害者)の采配、さじ加減ということだった。

にも関わらず、世の中にはまったく関係のない

その他大勢の意見によって善悪が左右されることが多すぎる。

それは人が、場の空気に流されやすいからに他ならない。

マスコミの報道した言葉ひとつに振り回され

悪だと報道されれば鵜呑みにし、身体にいいと言われれば信じる。

自分の好きな著名人の言うことは簡単に信じる。

自分より劣っていると思う人物の言うことを信じようとしない。

そこに、自分の考えなど微塵もないにも関わらずだ。

自分が賛同もとい便乗したものの意見を

まるで自分の考えであるように主張してしまうのが

今の世の中の恐ろしいところだ。

かねてよりよく話題に挙げるアニメ

ガッチャマンクラウズのエンディングテーマである

「60億の翼」の歌詞が、その全てを物語っている。

形のない世界が全てを飲み込んで

僕らは考えることをやめたんだ

いつだって正義は多数決で決められる

考えることをやめた人々の票が寄り集り、善悪が決められる。

人はそのことに気付かず、気付こうとせず、疑おうともしない。

僕達はなにも知らない

知ろうとしない

それでも、人としてずっと根底にあるもの、

ひとりぼっちは嫌で、誰かと繋がっていたいっていう気持ちは

一丁前に誰もが持ち続けてしまっている。

誰だって1人ぼっちで

だから誰かと繋がりたくて

でも傷つくのは怖くて

だから先に人を傷つけて

今僕の手は何色に染まってますか

今の世の中、不器用なのに求められたがる

あまりに自分勝手な人が多すぎるのだろう。

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ある帰り道。

Aさんは、誕生日の近いBさんに言いました。

Bさんとは長い付き合いなのに

Bさんのことよく知らないんだけど

何かプレゼントあげてもいいかな?

Bさんのことを知らないAさんは

何か繋がりを持ちたくて会話をしたのでした。

しかし、Bさんは悲しくなりました。

自分のことを知らないと言われたことがショックでした。

Bさんにとって、それは悪意のある言葉だったのです。

その後、お互いの考えをしっかり話して仲直りしました。

次の日。

学校でBさんはCさんに言いました。

Aさんは私と長い付き合いなのに、私のこと知らないんだって。

なんで私のこと分かってくれないんだろう。

そのことをAさんはCさんから聞かされます。

Bさん、とても悲しんでたよと聞かされます。

Aさんはとても悲しくなりました。

昨日の帰り道、仲直りできたと思ったのはAさんだけだったのです。

AさんはBさんと遊ぶときは、いつもCさんも一緒でした。

AさんはCさんと話しやすくて、ついCさんと話してしまいます。

AさんはBさんを知ろうとしなかったことが原因だと思いました。

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さて。

AさんもBさんも、ここには悪意なんてありません。

それなのに、なぜこんなことが起こってしまったのか。

100文字以内でまとめなさい。

なんだか道徳の授業にでも出てきそうな内容になってしまった。

ひとつわかったのは、言葉を発した側と、受け取る側とで

その言葉のもつ意識レベルに齟齬が生まれていた。

ということだろうか。

そこを一致させることは、とても難しいけれど

普段から人は、その部分をなーなーにして会話をしてしまう。

齟齬をできるだけ減らすためにも、言葉一つ一つに気を配って

言葉を発する前に一呼吸置いて喋りたいものだけど

それはそれでとても息苦しそうだ。

ほんと、なんて息苦しい世の中に、私たちは生きているんだろうね。

Web拍手レス

よほどあからさまな誰かへの罵倒をしてその人を傷つけるのならまだしもそれ以外で誰かを傷つける発言をしてしまうのは避けられないことだと思います

ナナさんはゲーム制作やブログなど色んなことを発信してますが、それは誰か傷つけるためとかではなく、見てもらいたいとか楽しんでもらいたいという気持ちからだと思うんです

傷ついてしまう人が出てしまっても、その人がちゃんとした人なら故意じゃないときっと分かってくれるんじゃないでしょうか

ありがとうございます。

優しいコメントをされるとつい甘えてしまいたくなります。

私自身のことを考えると、性根の部分が濁っているので

たぶんどんな風に装ってもボロは出てしまうんだろうと思います。

些細なことで妬むし、僻むし、だから心無いこと言ってしまう。

人の内面ってなんでこんなに変えるのが難しいんでしょうね。

ドラクエの性格みたいに、簡単に変えられたらいいんですけどね。