どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

Nintendo Switch

任天堂の新型ゲーム機 Nintendo Switch が発表された。

新型ゲーム機の話題の行き着くところは

結局ゲーム次第だよね~っていうところに落ち着くので

特別話すことはないんだけど、見てて気になったのは

左右のコントローラ取り外すのスムーズかなあっていうのと

携帯時の充電大丈夫かな~ってことくらいか。

DQ113DSだからたぶん関与しないだろうし。

って思ってググったらNSでも開発してるらしい。まじかよ。

据え置きやるならPS4でやるからいいけどさ…。

いつからか、ゲーム機1つに対して

ソフトを2,3本しか買わないのが当たり前になってしまって

もしかして自分は、ゲームに興味が無いんじゃないのかと思うことがある。

そんなことはないはずなのに、なんでかなあ。

Web拍手レス

ゲームの宗教系のストーリーって大抵、『最近●●宗教ってのが流行ってて~』みたいにその世界で暮らしてた人達にも急に流行りだした宗教は絶対に裏で悪い事してるよね、あと宗教施設的なヤツがイチイチでかい。

逆に『昔からこの村では●●神ってのを崇めてて~』みたいに、その世界で暮らしてた少数の人達が昔から崇めてる系の宗教は裏で悪さしてるのを、あんま見た事がないね。

ガッチャマンクラウズの三期を望んでる@ますた~

悪いことしたらお金が増えて建物でかくなっちゃうのかもねー。

三期はふもっふみたいなのがいいです。

こんにちはー、長月です、いつもブログ楽しみにしています。

宗教の話が出たので持論ですがひとつ。

宗教と一口に言っても、西洋やイスラム教とかの一神教と日本の宗教では価値観というかものの見方が全く違うと思うのです。

西洋の宗教ではミサに参加したりお祈りを捧げたりするのをイメージすると思います。

日本人でも敬虔な信者とはそういう人を指すものだと考える人が多いでしょう。

でも日本ではそういう人は滅多にいない、じゃあ無宗教なのかと言われれば、それも違います。

例えば、何か良いことが起こると「日頃の行いがいいからだ」と言ったり、

食べ物を粗末にするとバチがあると言ったり、

ご飯を食べる前に「いただきます」と言ったり。

こういうのは全て日本の宗教観から来ている言葉だと思うのです。

神様を信じていないのなら、日頃の行いが良かろうが悪かろうが、食べ物を粗末にしようが関係のないことなのですから。

私たちが当たり前に思っていることが、実は宗教によって培われて来たものなのだと思います。

まとめると、

西洋の宗教は「信じるものが救われる」、選ばれた人間が神様に施しを受けるため、神様に選ばれるためにお祈りを捧げるのに対し、

日本の宗教は「神様は常にあなたを見ている」、だから悪いことはできない、善行を積みなさい、というのが大きな違いなんじゃないかなぁと思います。

ゲームだと西洋の宗教観をよく見ますよね。

長文失礼しました。

ですね~。

ブログではあえて書かなかったんですが、あの記事は

ある特定の宗派のことを、ある特定の人物に向けて書いた内容なので

かなりピンポイントなことしか書いていません。

宗教そのものの話になると、それはまた別の機会にしてみたいですね。