どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

世界とカジノ

忍屋には温泉イベントがある。

竹林に秘湯があり、そこで女の子たちがキャッキャするイベントだ。

しかし、このイベント。

タイミング的に差し込むすきがないことに気づいた。

短編ものARPGということで、シナリオが終始シリアスなまま進み

主人公が落ち着く暇がないので、ちょっと出かけましょうか?

といった状況にならない。

それでもなんとか、温泉イベントだけは作りたかった。

お色気要素を消すなんてとんでもない。

とはいえ、できるならシナリオの勢いを消したくない。

悩んだ挙句、なんで世のヒーローたちは

世界の危機に面した状態でカジノに入り浸るのか考えるようになった。

そういえば先日のTRPGでも話題にあがったなあ。

空のメテオを見るとゴールドソーサーに行きたくなるとかなんとか。

PLの立場からすれば、それはもはや語り尽くされた

『クリアしたくない病』みたいなものだろうけど

この際、PLの立場はいったん横に置いておこう。

それよりも、ゲームの中身のほうだ。

主人公である椿が、そのタイミングでイベントを発生させて

果たして違和感が生まれないかどうか、そこが重要だった。

ではなぜ、クラウドはメテオを止めずにチョコボに乗っても許されて

椿はラスボスを前にして温泉に浸かっちゃダメなのか。

その答えは、おそらく天秤にかかっている世界の規模にある。

普通に考えたら、規模が大きい(重い)ほうが優先度が高く

世界がピンチなのに遊んでられるか!ってなるだろう。

しかしゲームとなると話は違う。

リアルでは世界の危機というものに縁がなさ過ぎて

身近な存在からかけ離れているがゆえに

無意識にゲームとして捉えてしまっているのだ。

結果、PLは(ゲームだし)放っといても大丈夫でしょ。

と割りきってしまえるのかもしれない。

ここは、どれだけゲームに没入させられているかにもよるだろう。

仮にFF10にカジノがあったとしても、ザナルカンドに突入して

戦闘中もBGMが変わらない演出があり、うおおおお!って

盛り上がってる状態でカジノに行く気にはなれないだろうしね。

さて一方、規模が小さく、個人間の話となるとどうか。

椿の場合、自分の為に倒さなくちゃいけないボスがいて

そいつがどこにいるか分かっている状態で最終節を迎える。

あまりに規模が小さすぎて、他のことを考える余裕が無いのだ。

もはや、ラダトーム城を出たら

100人が100人隣りの町に入るくらい規模の小さい話。

そうなると途端に人事ではなくなり、カジノで遊ぼうとはならないのだ。

というわけである種の答えは見えたので

やはり違和感なく温泉へ運ばないといけなくなった。

考えた末に出た結論は

ゲームという要素を取り入れつつ

シナリオ的にも違和感なく繋げるという方法だ。

まず、普通には温泉へ行けなくする。

ちょっとした隠し要素、つまりゲームらしい要素だ。

意図しないとまずイベントが発生しないようにする。

そうすることで、PLにこれはゲームだよとある程度思わせられる。

先ほどの例でいえば、世界の危機が身近に感じないといった

ゲーム的感覚をここで刷り込むわけだ。

次に、実際に発生するイベントの内容が

前のシナリオと繋がった様に始まる。

そうすることで、あぁだからこのキャラたちは温泉にいるのね。

とすんなり入ってくるわけだ。

いろんな違和感がなくなったところで

あとはキャッキャうふふをお楽しみ下さいといった感じ。

とはいえ、台本を起こしてみたら、よくあるラノベのような

胸をもみ合うとかそんな要素は皆無だったんだけど

結果、世間知らずな椿ならではのイベントに仕上がったので

良い落とし所が見つかったのではと思う。

 web拍手レス 

こんにちは、長月です。いつも楽しくブログを見させて頂いてます。

???についてなんですけど、立ち絵などがない状態なら「女の声」とか「不気味な声」なんて方法もありますよね。ちなみに自分なら名前欄はいっそ空欄(非表示)にするかもしれません。
長月さん、ありがとうございます。

以前記事にもしましたが、立ち絵と顔グラ、または吹き出しのみといった、メッセージウィンドウのデザインひとつでも変わってきますよね。名前欄にしても、ウィンドウ内に名前を入れてしまうUIなのか、アトリエみたく名前専用の枠が別途あるのかも絡んできますし、こんな重要なことを制作初期に決めていしまわないといけないというのが酷な話だと思いました。