どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

制作に欠けているもの

そういえば、一昨日の記事の最後で話した

『予想と違った感覚』について話してなかったのでここでひとつ。

えぬさんの言うところの

『マップを完成させればエターナらない理論』と似たような感じで

俺にも色々と制作するうえで、持論のようなものがある。

すごく当たり前の話をすると

『素材』と『ツール』と『台本』が揃ってれば

まずエターナることはない。

これまでに、自身でエターナらせてしまった作品は

得てして『台本』が欠けていた。

元々コンシューマツクラー時代が長かったので公開こそしてないけど

完成させてきた作品は各ツクールタイトルに1本ずつくらいある。

それらは『素材』も『ツール』も

RPGツクール』という形で存在している。

故にこちらが用意するのは『台本』だけでよかったわけだ。

で、その台本がすごく曖昧だったものだけが未完成に終わっている。

今回の忍屋はといえば、そもそもの制作のキッカケが

『素材を一から作って制作したらどうなるか』だったので

そもそも『素材』がない。

そして、気づけばRPGではなくアクションになっていたので

当然『ツール』もない。

トドメは、いつもどおり『台本』もない、だった。

そんなすべてが『ない』状態から制作が始まって

長い年月が過ぎると、素材作りが面倒になり

ツールはプログラマさん任せとなっていった。

その状態に対して、いつしかそれらは

『いずれは完成させないといけないもの』として

頭の片隅に追いやられ、残すは『台本』のみとなっていた。

だから勘違いしていたのだろう。

『台本さえできれば、大丈夫だと』

つい最近までほんとにそう思っていた。

これまで、台本なんてフローチャートとか

イベント毎の台詞程度しか考えず作品を完成させてきた人間が

なぜ台本ができれば完成できると錯覚をしてしまったのか。

7年という歳月はそれほどまでに人を狂わせるようだ。

で、一昨日気づいたというのが、今回の本題なんだけど

イベントのワンシーンというか、動きを見てた時のこと。

『たしかに動いたけど、このシーンってどういうシーンなんだ?』

台本はできたが、そのイベントの動きが確立できていなかった。

おぼろげにはあるが、台本にはセリフが羅列されているだけで

よほど鮮明に浮かんだシーン以外は、動きの詳細は書かれていない。

そこで気づくわけである。

『あ~・・・やっと昔の自分に追いついたのか』と。

実際は素材もツールも未完成なので追いついてはないんだけど

台本の部分だけで言えば、やっと追いついたわけだ。

昔の自分が、事前準備なんてなくても、その場その場で

湯水のごとくアウトプットできていたあの感覚を

やっとやる時がきたのだ。

初の横スクのアクションだし、素材もない。

台詞も思いつきじゃなくて、推敲しないとダメみたいな感覚になってる。

ツクールのデフォコマンドも、ほとんど使いものにならないしで

あの時とは明らかに違う環境下ではあるけど

やっと自由に画けるところまできた。

『やや不安要素はあるが、それも含めて楽しみたいと思う』

そう記事の最後に綴ったのは、そういうことだ。

さて、頑張りましょうかね。