どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

エターナらない為に

画像:TRPG内で衝撃の事実

天気:雨

第二期ぐらちTRPGも早いものでもう15話。

前回、仲間の精神世界にとんで、その中に氷の城が出てきたものだから

2014年のトレンド1位にもなった「アナと雪の女王」にかけて

みんなして「ありのままの」とか「れりごーれりごー」言ってたんだけど

今回のセッションで衝撃の事実が発覚。

上の画像を見てもらってわかるように

誰も見てないのに歌だけで流れに乗ってたっていうね。

こいつはひどい。

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さて、ここから本題。

TRPG仲間でもある「えぬ」さんの記事を読んだときのお話。

原文を読みたい人はこちらから。

ゲームが未完成にならない方法

これを読んで、モチベが上がったとか参考になったとかは

勿論あるのかもしれないけど、なにより単純に元気が出たので

同じツクラーさんがいたらぜひ読んで欲しいものだ。

ここには、エターナらない為の心構え的なものが

6項目ほど書き綴られている。

みなさんご存知「帽子世界」をその手で完成させたえぬさんが

語るからこそ、説得力がちがう。

共感できるものもあれば、まだ俺の辿りつけていない考え方もあった。

では、さっそく1つ目の項目から見ていこう。

(1)妥協する

これに関しては、嫌というほどわかってきたつもりだったし、実際に妥協もしてきたように思う。思うけど、ここにはちょっとした考え方の違いがあった。俺にとってえぬさんは雲の上の存在で何でもそつなくこなして、毎日着実にゲームを作り続けてる人なんだろうと、なぜか勝手に思い込んでしまっていた。なので、えぬさんでも妥協するのかと思ったし、完成させてる帽子世界は、そんなにバッサリ切り捨てた要素があったのかと思うと、妥協しないといけないんだろうけど、イマイチその匙加減がわからずにいた俺を後押ししてくれたように感じる。

(2)体験版を出さない

これは盲点だったのと、共感できた部分が半分ずつだった。えぬさんのいう「見せたい欲求」というもの。個人制作においてこれは本当に大事なもので、満たされればそこで終わるというのは事実だろう。えぬさんが前に作ってたマジェスティアがエターナってるところからみても説得力がある。俺自身の経験を語るなら、高校生時代に作ったサウンドノベル百鬼夜行」でも、見せたい欲求と戦ったことがあった。むしろこれが初戦だったように思う。これについては以前も同じことをブログでかいてるので割愛するが、我慢するってのはそれだけで大変なことだ。もう1つは現在も公開している「Zetima」でも似たようなことがあった。このゲームは4つの季節から構成されて、春から始まって冬で終わるんだけど、春が終わった時点で結構なボリュームになってたし、きりもとてもよかったので友人にやらせてみたことがあった。お察しの通り、夏を開始するのは相当なエネルギーが必要だった。おまけに夏は、まだ作っていない城内という広いマップからスタートだったんで、余計に辛かった記憶がある。しかし今思えば、その面倒であろう城内も、中央と廊下と玉座だけつなげて作って、あとの施設は中央のメイドに話しかけてワープさせる作りとすることで、城内は充実してるけど移動も楽だし作るのもラクという妥協が産んだ構成となっていたことに気づいた。昔の自分のほうが柔軟性があったように思える。俺が毎日ブログで何かスクショあげてたのも、半分は見てる人にとって、何か掲載するものがないとつまらないだろうと思ってたのもあったけど、もう半分はそれを世に公開することでちょっとずつ自分の努力を見せて満足したかっただけだ。きっと俺の周りには絵描きさんが多いのも影響しているのだろう。一日一枚絵を描いてはそれに賞賛の声が集まる。そんなのを毎日見ている中、自分は何年もかけて、その1%の反響も得られていないという事実に耐えかねての行動だったのだろう。だから同人誌やイラストを作っていた時は非常に気持ちが楽だった。完成がすぐ目の前にあるというのは、それだけである程度は駆け抜けられる。あくまで俺個人の話だけど、何年もかかるゲーム制作に比べて、1~3日程度で終わるイラストや1ヶ月そこらで終わるイラスト本はモチベを保ちやすいし期限もあるからやる気もでる。そういう意味でも無期限っては本当に難しい。ずっとどうしようか悩んでたけど、これからはスクショを安易にあげないようにしようと思う。他の人の開発記録を見ても、毎日ブログ更新してる人も少ないわけで、それに併せて毎日スクショあげてたら完成したとき面白くないだろうと。スクショは一週間に一枚程度にしてみようかしらね。あと、テストプレイは誰かにお願いしそうだけど、体験版はきっと出さないだろうなあ。

(3)制作スケジュールを立てない

確かに長期的なスケジュールは確かにろくなことがないんだけど、一日単位での目標はわりと効果的。以前ブログで書いたけど、googleカレンダーを日にち単位表示にして、その枠に目標を1つだけかく。俺には誘惑が多すぎて、スケジュールというかこういった目標をたてないと永遠にやらない可能性があるのでこれに関しては続けてみようかなと思う。えぬさんの言っている「楽しいことを嫌なことに変えちゃいけない。」この台詞は非常に心にぐさっときた。わかっていたはずなのに、仕事選びなんかでもよく言われることなのに、なんだか改めて諭された、そんな気分だった。

(4)手抜きできる部分を追及する

これはほんとうにその通りで、ずっと前から気づいてはいたし、みんな分かっていることなんだろうけど、それをどんどん泥沼に追い込んでくるのが製作期間の延滞である。長引けば長引くほど何が正解かわからなくなり、性格な判断が鈍ってくる。きっと昔、まだ忍屋を作るぞ!って意識で溢れてるときに出してたアイディアってのは純粋そのもので、いいものもたくさんあったのかなあと思ったりする。反面、今俺がつくってるのは本来作りたかったものとはかけ離れつつある気がするのは、なぜだろう。俺の個人制作において、ああでもないこうでもないなんてまどろっこしい考え方は似合わない。これ!って思ったら結果的にそれが一番正しいんだと、昔の自分に説教してもらいたい気分でいっぱいだ。

(5)制作物に触らない期間をできるだけ無くす 

これほんと大事。これはたぶん、俺にとっては「制作物」ではなく「ツクール」に触れない期間のことだと思う。俺はゲームが作りたかったはずなのに毎日素材ばかりつくって嫌になって、ツクールで作りたいはずなのに1年間ツクールを起動しないなんてことも珍しくなかった。それの何が楽しいのか。触れない期間が長いと、例えるなら「ゲームの中盤まで進めてたRPGを突如やめてしまい数ヶ月放置したあとで再開したらダンジョンの途中のセーブから始まって何やってたか全然思い出せない症候群」に似たものがある。あれ、何作ってたっけ?とか、スクリプトのあの命令どういう処理にしてたっけ?とか、シナリオはいろんなアイディア出してたけど、結局どれでいくことになってたんだっけ?とか様々。しかし、触れない期間が長いと見えなくなるものがあるということは、反対に触れない期間があることで見えるようになることもある。最近の事例でいえば、夏コミの原稿をやるためにゲーム制作を中段して、開いた時間はドラクエばかりに遊びほうけて戻ってきた時がそれだった。行き詰まった時はいっそこういうのも悪くないかもしれない。プログラマさんも似たようなことを言っていたように思う。

(6)自分を追い詰めない

もし「作らないといけない」と感じたのなら、それは作りたくない自分の感情へ言い訳をしているだけかもしれません。これは重い。その通りすぎてぐうの音も出ない。誰に対してかわからないが、ただ「ごめんなさい」と言いたくなった。かつては確かにいたはずの、作りたくて仕方なかった時の自分に対してだろうか。ほんとごめんなさい。モチベーションの上げ方はBGMってのは一緒なんだけど、そもそも最近はこの記事を読んで考え方が変わっている。「モチベーションはつかの間のものでしかなく、特に努力をせずに集中できるので頼るのは簡単だ。モチベーションは向こうからやってくるんだ。こっちから追いかけなくてよい。」これは衝撃的だったなあ。納得しかできないし、その得体のしれないものに頼ろうとしなくなったのは大きい。

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そんなこんなでまとめ終了。

今回、えぬさんの過去の記事もあさってみたんだけど

それで何より驚いたのは、あのえぬさんでさえも万能超人ではなく

一般人の俺と似たような道を歩んできたんだなと思えたこと。

それなら俺も、有りもしない才能に焦がれるのではなく

地道に努力と妥協を重ねていくしかないじゃないかと思うことができた。

これでだいぶスッキリしたし、元気も出た。

来週からより素直に、より潔く、頑張れそうな気がする。

こんなふらふらな忍屋も、応援してやらんこともないよって珍しい人がいたら

俺が調子に乗らない程度に見守っててください。