どこここブログ

10年以上続くナナブルクの日記

明日やることを決める

会社員ではなくなって何より大事なこと

会社を辞めてからというもの、時間の使い方が非常に難しいと感じるこの頃。

朝ちゃんと起きるのも、窓を開けてブログを描くのも、お昼にちゃんとでかけて食べるのもいいんですけど、休憩が難しい。つい仕事中にダラダラとYoutube見たりTwitter見たりっていうのが発生してしまうのが会社ではないことだなって思うんですね。

休むべき時間もずっとPCを見てることになるので、目の疲れ具合が会社員のときの1.5倍になってる気がします。こりゃいかんぞ・・・。

とはいえ、これが広島に戻ってフリーランスの仕事と主婦の生活が両立できるようになれば、主婦してる間は必然的にPCから離れるだろうから、ここの心配は不要になりそうな気はしてます。あと1ヶ月くらいの悩みですかね、たぶん。

あと会社員じゃなくなって、何より大事だなと感じたのは「明日は○○をやろう」って決めてから寝ること。これがないとマジで朝からダラダラしてしまう。

会社員はやること決めてなくても仕事があるので、仕事してる間に「帰ったら○○をやろう」が出てくるんですよね。そしてそれをやる時間も限られた夜しかないので問題ないんです。でも一日中使えてしまうとそれが間延びするっていうね。いやあ、おそろしい。

そんなわけで明日は動画作ろうと思います。

この世の闇とネコ

自分でも引くレベルの憎悪に満ちた声が出てるのに驚きました

13時過ぎ。
お腹もペコペコの状態で、ランチを食べにでかけたんですよ。

いつも大人気のお店で、この日も店内が満席だったので外で待つことにしました。

しばらく待って、私の後ろにも列ができ始めた頃、ようやく呼ばれたので中にはいったんですね。

「カウンターの奥の席へどうぞ」

言われるままに奥へ座ります。それに続くようにして、私の後ろに並んでたおっさんもついてきたんですが、そこでおっさんはカウンターの内側、厨房に向かって一言。

「ランチで」

あ~このおっさんそういうことしちゃうタイプか~・・・って思いながらも、ここであとから私も続くと負けた気がするので、私はちゃんと店員が水を持ってきてくれるタイミングで頼もうと待ってたんですよ。

そしたら水が出てくるよりも先に、おっさんのランチが出てきたんですね。

それからしばらくしてようやく私とおっさんのもとへ水がでてきて、そこで初めて私は注文することになります。

「ランチで」

自分でも引くレベルの憎悪に満ちた声が出てるのに驚きましたよね。ごめんね店員さん。別に店員が悪いわけではないのよ。

ただ私のランチが出てくるのは、おっさんが半分食べたあたりでした。

いやあ・・・このなんともやるせない気持ち、誰しもが一度は体験したことがあると思います。こっちはお昼を食べに来て、行儀よく注文を待ってただけなのに、だいぶピキピキきてたんですが・・・ふと窓の外を見ると、三毛の子猫がいまして。

ただ眺めてるだけで、濁りきった心が洗われていくようでした。

ネコってすごいですね。

すずめの戸締まり

すずめの戸締まり所感

嫁がアイドルコンサートのついでに引越の荷造りの手伝いに来てくれたので、その帰りに「すずめの戸締まり」みてきました。

Tジョイ博多にて

作品を見終わったあとに「あそこがよくなかった」的な感想が出てくる作品って、たぶんいい作品の証拠なんだろうなって思うようになりました。

「あそこがよくなかった」ってことは、それ以外の部分は楽しかったって前提なんですよね。本当に面白くなかった作品は「ひどかった」って感想だけを残して、あとは何も出てこないんですよ。そういう意味では否定が最初に出てくるのは日本人ぽくて嫌だなって思うし「ここがよかった!」って感想を真っ先に言える人間になりてえなあって思った次第です。

というわけで以下感想です。

良かったところ

みみずが山から出ている最初の演出もとい見せ方が見事でした。え・・・なにあの不気味なの・・・おまけに自分しか見えないし・・・っていう表現から始まって、その後実際に起きた震災によって、次あれを見てしまったときに、これから何がおきるのかっていう先の恐怖を描いてて、こりゃ以前ブログにも書いた「ぬ~べ~のラグビーボール」の演出と同ベクトルのものだなって感心してました。やっぱり想像させる恐怖って大事ですよ。

ダイジンが煮干しもらうだけで元気になって、嫌いって言われてしおれていくシーンが個人的に好きでした。ダイジンは神様だから、これって人の信仰心が神に与える影響を描きたかったのかな?って思いましたね。土地神とかの設定でよくみるやつです。そういえば後半の常夜バトルは、絵面が完全に夏目友人帳のそれでわらっちゃいました。

芹澤が被災の跡地を見て「ここってこんなきれいな場所だったんだなあ」っていったとき、すずめはちょっと引いた感じで「これが綺麗に見えるんですか・・・」って返したシーン。見ていたときは「みみず同様、すずめには違う風に見えているのか?これからすずめ目線の景色に変わるのか・・・!?」って思ってたら何もなくて。あえて見せないとか、そういう演出なのかなあって考えてたんですが、そのあとの日記で「3.11の日付」を映したことで「なるほど・・・」っていう感情になりました。

演出うますぎるでしょって思ったんですが、これってもしかしたら、監督が被災地をロケハンで訪れていたとしたら、その姿を見て芹澤と同じ感想を抱いてしまったのではなかろうかと。ここって綺麗だなって。そして現地の人たちの話を聞くうちに、すずめのセリフを思いついたんじゃないかなって、そんなことを考えてました。

気になったところ

今回も新海ワールド全開でしたね。おかげで序盤の駆け足具合がなかなかのものでした。最初のみみずが発生するまで「導入めっちゃ急ぐやん」って思いながら見てたんですけど「ここまで急ぐってことは、今回描きたい内容が色々複雑だから急いでるんだろうな」って。実際凄まじい情報量でしたね。ここまでオリジナルの設定を入れまくったうえで、作品を2時間にまとめるのは大変だったと思います。

中盤以降から気になっていたのは「閉師」について。こんだけやべえ大事な仕事なら、一族だけが知るとかではなくて「ちゃんと国家規模で動いてもろて」って思いながら見てました。何かしら知られてはならない理由があるのかなあって見てたんですけど、ありませんでしたね。例えば昔、一族が神様と契約して、人知れず動くことを条件に~みたいな話があったのかなあとか思ってたんですけど。更に情報が増えるから、カットした結果なのかもしれませんが。小説版には書いてあったりするのかもしれませんね。あと閉師やりながら先生やるって・・・物理的に無理じゃね?って思ったんですけど、どうなんですかね?

相手は震災レベルのものなのに、なんで人一人の力で「ん~~~!」って力んで扉閉めれるもんなの?っていうが終始疑問でした。いや、閉まらんくない?って思うんですが、たぶん大事なのはその先の鍵を締める作業であって、あの気張ってる部分は一種の演出なんだろうなあ・・・って結論に至りました。頑張ってる風を出したほうが絵面として綺麗だもんね。

それと似た話で、すずめが初めて扉をみつけたとき、水の中に靴のまま入るシーンがあったじゃないですか。あそこも「いやそのまま入ったら足気持ち悪いから、せめて脱いで入るでしょ」ってなるのが普通だと思うんですけど、あれをみたとき「あ~これは靴のまま水に入ったときにでる気泡の演出を、監督がどうしてもアニメーションとして描きたかったのかなあ」っていう作り手都合の場面だと思ってしまいました。実際どうなんでしょうね。後付で理由を付けるとしたら、過去に扉と対峙してたから扉に惹かれて無心で近づいた・・・ってところでしょうか。

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今回は、予告ムービーも何も見ず、奇跡的に情報を一切入れず見に行けたんですけど、聞くに映画館とかTwitterとかで「アラートの注意事項」なんてものが貼られてたらしいんですが、それすら全く知らずに見ることができたので、終盤の「3.11」の記述のところで素で驚けてよかったです。難しい問題だと思いますけど、監督──というより、作り手としては、当然観客には何も知らない状態で見てほしかっただろうなとも思うんですよね。

監督はちゃんと自分の世界をもってて、それを作品に毎回落とし込んでて凄いと思います。次回作も楽しみですね。